チュニス旧市街

旧市街の建設は、698年、同地に侵出してきたアラブ・イスラーム軍(ウマイヤ朝)によって着手された。703年には、カイラワーンの大モスクをモデルとするザイトゥーナ・モスクの建設も始まった(732年に完成)。モスクの礼拝室に立ち並ぶ14の列柱は、カルタゴから運んできたものと言われる。また、同モスクのキブラ(メッカの方角を示すために造られた壁のくぼみ)は、正確なメッカの方角から29度23分ずれている。

ムワッヒド朝、ハフス朝の支配下にあった12~16世紀に、チュニスはイスラーム世界最大級の人口規模を誇る裕福な都市へと成長する。宮殿、モスク、霊廟、マドラサ(神学校)、噴水など、700もの建造物がこの時期に建立され、旧市街も拡大した(7世紀に整備された内メディナに対し、新しく拡大した地域は外メディナと呼ばれる)。特に、1229年に設立されたザイトゥーナ・モスクのマドラサは、モロッコのカラウィーン・モスクやエジプトのアル=アズハル・モスクのマドラサとともに、北アフリカを代表する学問の中心地となり、マグレブだけでなく、中東やサハラ以南のアフリカからも学生が集まった。

16世紀にオスマン=トルコの支配下に入ってからも、チュニスは繁栄を続け、1616年にはシディ・ユースフ・モスク、1655年にはハムーダ・パシャ・モスクが建設された。

1883年にフランスの植民地になって以降、旧市街の城壁は大半が破壊され、隣接する地域に、フランス総督府やカトリックの大聖堂を中心とするフランス風の町並みの新市街が建設された。イスラーム風の旧市街と近代的な高層ビルが立ち並ぶ新市街が併存する、現在のチュニスの都市景観の原型は、この時期に形作られた。

参考文献

ザイトゥーナ・モスクのミナレットと旧市街