リヨンの歴史地区

「映画の父」として知られているリュミエール兄弟や『星の王子様』の作者サン=テグジュペリを輩出したフランス南東部のリヨンは、長い歴史をもつ町である。その興りは、紀元前43年と言われ、その後リヨンはヨーロッパの文化・商業・政治の一大拠点として栄えた。

ローマ帝国期には「ルグドゥヌム」と呼ばれ、西ヨーロッパの中ではローマに次ぐ重要な拠点であった。ルグドゥヌムという名前はルー(またはルグ)というケルト神話に登場する商業・芸術・旅行の神の名前から由来する。ローマ人たちは、ルグをメルクリウス(またはギリシャ神話のヘルメス)と同一視していたという。 その後約200年間でルグドゥヌムの人口は数千人から数十万人までに膨れ上がった。この時期には、ガリア民族の神とローマの神が混ざり合った形で信仰されていたと考えられる(シンクレティズム)。

また、177年には、リヨンの最初の司教・聖ポティヌスがこの地で殉教し、ガリア民族で最初の殉教者となった。

14世紀にフランス王国に併合されたリヨンは、19世紀に至るまで首都パリとその格を競い合うほどで、フランス第二位の大都市として発展した。 リヨンの歴史地区の中で宗教文化の視点から重要な建物・出来事は以下のようになっている。

サン・ジャン大司教座大聖堂

15世紀に完成したサン・ジャン大聖堂は6世紀にあった教会の遺跡の上に建てられた教会。完成までには200年以上の歳月を有したため、ロマネスク様式とゴシック様式が混ざり合っている。現存する14世紀の天文時計も見所のひとつである。

サン・ニジェ教会

この教会は12月8日に行われるリヨン最大の祭り、「フェト・ド・リュミエール」の際の美しいライトアップで知られる。フェト・ド・リュミエール(光の祭り)とは、聖母マリアのための祭りである。17世紀、ペストが南フランスで流行をみせていた頃、リヨンの人々はペストの感染が拡大しないようにと聖母マリアに祈りをささげた。この祭りには、この時の聖母マリアの加護に感謝する意も含まれている。毎年、リヨンの市民がバルコニーやベランダーやドアに火をともしたロウソクを置き、町全体が光に包まれる。その美しい光景は世界中の観光客を惹きつけている。

サン・マルタン・デネー教会堂

最初の教会は9世紀に建てられたが、現在の建物のほとんどが19世紀に作り直されたものである。9世紀以前にも巨大な教会がこの場所に存在し、リヨンの殉教者のために捧げられていたという伝説があるが、事実は確認されていない。

参考文献リスト

リヨンのサン・ジャン大司教座大聖堂

リヨンのノートルダム・ド・フルヴィエール聖堂