河南登封の文化財 天地之中*
嵩山は、少室山と太室山という2つの標高約1,500mの頂きを擁する山岳群で、古来より、天地の中心にある聖なる山と考えられてきた。皇帝によって行われる嵩山崇敬の儀式が、皇帝の権力を強化すると考えられたほか、天文学的な観測が世界で唯一正確に行える地点とみなされてきた。世界遺産「河南登封の文化財 天地之中」には、この嵩山を擁する河南省登封市周辺の40㎢に円形に配置された8つの建造物が登録されている。
紀元前3世紀以降、嵩山周辺から首都が遷されたにもかかわらず、その後2000年の間、9つの王朝によって、寺院の建立、再建は継続され、68人の為政者が自ら嵩山を訪問するか、または代理を派遣し供犠を行った。それゆえ、同地域は、聖なる山や宇宙の中心としてだけでなく、登封市を国家の中心たらしめ、また、中国が世界の中心にあると考える「中華思想」の源流ともなっている。
【主要な建造物】
◆漢代に中国に仏教が広まって以来、嵩山の周囲には嵩岳寺、少林寺、会善寺、法王寺など、多数の仏教寺院が建設された。
特に527年に菩提達磨が禅宗を創始して以降、少林寺を拠点に禅宗の教えが普及していった。達磨については、嵩山少林寺で9年間壁に向かい座禅を組み続けたとの伝承が残る。また、達磨一行の渡来が少林武術の創始に関わったとも言われている。
塔林は、少林寺より数百メートル離れたところに設けられた歴代高僧の墓所で、1万4000㎡の敷地に、唐代から五代、宋、金、元、明、清を経て現代に至るまでの仏塔が248基ある。規模・数ともに中国最大のものである。
◆嵩山一帯は、道教の発展においても重要な役割を果たした。唐代に、則天武后は嵩山の神を「天帝」とみなすよう命じ、玄宗皇帝はこれを「天王」と称して、道教寺院の中岳廟を増築させるなどした。宋代(北宋、南宋)には、教学や寺院の発展のため、皇帝による支援がさらに活発化し、道教学校が設置された。
◆北魏の時代に建設された寺(嵩陽寺)が、宋代に儒教の書院(学問所)として嵩陽書院と名付けられた。
◆周公測景台は、現存するのは723年に再建されたものであるが、世界の中心を定める目的で設置された日時計である。元代に天文観測所「観星台」が建造されたが、明代になると、天の中心という概念は廃され、西洋的な地球球体説が採用されるようになった。