トマールのキリスト騎士団の修道院

ポルトガル中部にあるトマール市は、古代ローマの時代までさかのぼる歴史をもつ古都である。この地はテンプル騎士団の都市として知られてきた。また、騎士団の壊滅後は、ポルトガルの海外への探検家の拠点となった。

テンプル騎士団は1118年から1312年まで活動した西欧中世の騎士修道会である。第一回十字軍(1096年~1099年)の運動でエルサレムがキリスト教会に回復された後、聖地エルサレムへ向かう巡礼者を保護するため、テンプル騎士団が創設された。この騎士団の会員は騎士であると同時に修道士でもあったため、シトー修道会の規則に従い、白衣の修道服に赤色の十字章をつけていた。イベリア半島をイスラム教徒から奪還した再征服戦争(レコンキスタ)(8世紀初頭~1492年)での活躍を認められたテンプル騎士団は、このトマールの地を与えられ、修道院と城塞を建設した。

修道院には、テンプル騎士団が建造した円堂(rotunda)がみられる。この円堂(外側は16角形をしているが、内部は8角形になっている)はテンプルの教会独自の様式であり、エルサレムのオマール・モスクや聖墳墓教会がモデルになっている。また、修道院の地下室は城塞における住居と司令塔の役割を果たしていたとみられる。

14世紀、テンプル騎士団はフランス王フィリップ4世の命により異端提訴の被告とされ廃絶された。しかし、ポルトガルに残った修道士と財を元に新しい騎士団、「キリスト騎士団」が結成され、その本拠地はトマールの修道院に置かれた(1357年)。

15世紀後半からは、大航海時代における重要人物が次々にキリスト騎士団の団長になり、トマールの修道院は増築され続けた。エンリケ航海王子(エンリケが派遣した探検家がマデイラ諸島、アソーレス諸島を発見し、アフリカ沿岸の2400キロもの距離を踏破したといわれる)も、1417年から1460年まで団長を務めており、彼は墓の回廊と沐浴の回廊を増築した。また、1484年から1521年まで団長に就任し、1492年からポルトガル国王にもなったマヌエル1世(彼の命令により、ヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を経てインドに到達できた。また彼が見出したペドロ・アルヴァレス・カブラルがブラジルを発見したとされる)は修道院内部の装飾や絵画を増設した。

キリスト騎士団は未だ現存しており、現代では有功勲章としてポルトガルの大統領からポルトガル共和国にあらゆる面で貢献した人物に贈られるものとなっている。 レコンキスタの時代から大航海時代を経て現代にいたるまで、時代時代で騎士団が果たしてきた多様な役割を物語る遺産であるといえる。

参考文献リスト