「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は九州の北西部、長崎県と熊本県に位置する文化遺産であり、10の集落、城跡と聖堂の12の構成遺産からなっている。潜伏キリシタンは、17~19世紀のキリスト教禁教期に神父が不在のなかで、日本の伝統的宗教や一般社会と共生しながらひそかにその信仰を伝え続けていった人々であり、その独特の文化的伝統と歴史を物語るのがこの遺産である。
【潜伏キリシタン略史】
フランシスコ・ザビエルによって平戸にもたらされたカトリックの信仰は、その地を支配していた領主や住民に受け入れられ広がっていく。江戸時代に入りキリスト教が禁止され、宣教師が不在となると、信徒たちは仏教、神道、その他の信仰をあわせもちながら、ひそかにキリシタンの信仰を伝え続けていくことになる。そこでは祈り言葉であるオラショやマリア観音といった独自の信仰形態が生まれていく。のちにキリスト教を禁教とする高札が撤廃され、キリスト教が公認されると、潜伏キリシタンはカトリックに復帰するもの(「復活キリシタン」)、カトリックには復帰せずにこれまでの信仰を続けていくもの(「カクレキリシタン」)などに分かれていく。
【各構成遺産についての解説】
遺産は、潜伏のきっかけ(1)と終焉(12)とを表す場所、潜伏キリシタンが密かに信仰を維持するために様々な形態で他の宗教と共生を行った集落(2~6)、信仰組織を維持するために移住を行った離島部の集落(7~11)で構成されている。
(1)原城跡:
長崎県南島原市に所在。キリシタン潜伏の契機となった島原・天草一揆の主戦場。
(2)平戸の聖地と集落(春日集落と安満岳):
長崎県平戸市に所在。御神体を納戸に隠してひそかに「納戸神」として信仰する実践が行われた。また、安満岳は在来の神仏信仰と並存しながら禁教期にはキリシタンの聖地として崇敬された。
(3)平戸の聖地と集落(中江ノ島):
長崎県平戸市に所在。平戸島北岸の沖合に位置する長さ400m、幅50mの無人島であり、かつて禁教時代初期には平戸藩による潜伏キリシタンの処刑が行われた。この島は聖地「サンジュワン様」などと呼ばれ、島の水は聖水とされ、岩からしみ出す聖水を採取する「お水取り」が行われる。
(4)天草の﨑津集落:
熊本県天草市に所在。﨑津は天草諸島の下島の南部に位置する漁村であり、禁教期にはアワビやタイラギの貝殻内側の模様を聖母マリアに見立てて崇敬するなど漁村独特の信仰を育んだ。キリスト教解禁後にはカトリックへの復帰が始まり、1934年頃、ハルブ神父の時代には鉄川与助設計施工のもと、かつて絵踏みが行われた吉田庄屋役宅跡に教会が建てられた。木造で、正面の尖塔部分は鉄筋コンクリート、内部は畳敷きで祭壇はかつて絵踏みが行われていた位置に当る。背後の海に溶け込み「海の天主堂」とも呼ばれている。
(5)外海の出津集落:
長崎県長崎市に所在。キリスト教由来の聖画像をひそかに拝むことによって信仰を実践した集落であり、解禁後にはカトリックへ復帰するものもおり、1882年には出津に赴任したド・ロ神父主導のもと出津教会が建てられる。
(6)外海の大野集落:
長崎県長崎市に所在。潜伏期には、神社に自らの信仰対象を祀り、ひそかに信仰を実践した。解禁後はカトリックに復帰するものもおり、信徒らの協力によってド・ロ神父設計指導のもと1893年には大野教会堂が建てられた。「ド・ロ壁」と呼ばれる壁が特徴的。
(7)黒島の集落:
長崎県佐世保市に所在。平戸藩が黒島に存在した牧場跡の再開発のため入植を奨励し、それを機に江戸時代後期には外海や生月島の潜伏キリシタンが多く移住した。表向きは所属していた仏教寺院で仏教徒を装い、マリア観音に祈りをささげながら信仰を続けた。大浦天主堂での信徒発見を機にカトリックへの復帰がはじまり、のちに島内信者全員がカトリックに復帰した。現在島の中心に建つレンガ造りの黒島天主堂は1902年に完成したもの。
(8)野崎島の集落跡:
長崎県北松浦郡小値賀町に所在。外海地方から各地へ移住していった潜伏キリシタンが再移住し、神社の氏子となりながら、その信仰を保持していった。解禁後はカトリックに復帰し、2つの教会が建てられる。現在は信徒が島を離れたため、教会と島は無人となり、小値賀町に寄贈され、残っている。
(9)頭ヶ島の集落:
長崎県南松浦郡上五島町に所在。上五島に属する頭ヶ島では外海地方から各地へ広がった潜伏キリシタンたちが渡ってきたことにより集落が形成された。解禁後にはカトリックに復帰し、鉄川与助の設計施工で頭ヶ島天主堂が建てられた。随所にツバキをモチーフにした花柄文様があることから、「花の御堂」の愛称がある。
(10)久賀島の集落:
長崎県五島市に所在。下五島の中心である福江島の北に位置し、外海地方から各地へ移住した潜伏キリシタンが移り住み、島内の仏教徒と漁業や農業で互助関係を結びつつ、集落を形成し信仰を続けた。五島全域で起きた「五島崩れ」などの弾圧を経て、解禁後にはカトリックへ復帰し、島内各地に教会が建てられた。
(11)奈留島の江上集落(江上天主堂とその周辺):
長崎県五島市に所在。下五島の最も北に位置し、外海からの潜伏キリシタンの移住を機に集落が形成されていく。解禁後には江上集落はカトリックに復帰し、教会を建てる。現在の江上教会は1918年に建てられたもので、柱に施された手描きの木目模様、ステンドグラスの代わって透明ガラスに手描きされた花など信徒の努力が垣間見える装飾が特徴的である。
(12)大浦天主堂:
長崎県長崎市に所在。潜伏が終わるきっかけとなった場所。開国以降長崎における宣教の拠点となっており、ここで浦上の潜伏キリシタンがプティジャン神父に信仰を告白したことにより、長きにわたり潜伏していた信徒が発見された(「信徒発見」)。以降、各地の潜伏キリシタンが宣教師との接触を求めて訪れるようになった。
参考資料
・長崎世界遺産登録推進課ホームページ(http://kirishitan.jp、2018年8月8日最終アクセス)
・長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーションセンター(http://kyoukaigun.jp/、2018年8月8日最終アクセス)
潜伏キリシタンに関する参考文献
・中園茂生(2018)『かくれキリシタンの起源――信仰と信者の実相』弦書房
・宮崎賢太郎(2018)『潜伏キリシタンは何を信じていたのか』角川書店