パトモス島の“神学者”聖ヨハネ修道院と黙示録の洞窟の歴史地区(コーラ)

パトモス島はエーゲ海南東部にあるギリシャの島である。この島で有名なのは、10世紀に丘の上に造られたホラとよばれる中世の街並みである。聖ヨハネ修道院は、このホラに囲まれて建っている。巡礼や観光としてこの島を訪れる人は多く、巡礼ツーリズムが島の経済の一部を支えていると言ってもよい。

ホラから少し離れたところに、聖ヨハネが天啓を受けたとされる洞窟がある。イエスの死後、聖ヨハネは西暦95年にパトモス島に流刑されたとされており、この洞窟での啓示の内容はヨハネの黙示録1章 9節~11節に以下のように記されている。

「わたしは、あなたがたの兄弟であり、共にイエスと結ばれて、その苦難、支配、忍耐にあずかっているヨハネである。わたしは、神の言葉とイエスの証しのゆえに、パトモスと呼ばれる島にいた。ある主の日のこと、わたしは“霊”に満たされていたが、後ろの方でラッパのように響く大声を聞いた。その声はこう言った。「あなたの見ていることを巻物に書いて、エフェソ、スミルナ、ペルガモン、ティアティラ、サルディス、フィラデルフィア、ラオディキアの七つの教会に送れ。」

黙示録とは新約聖書の最後に置かれた文章であり、神に未来の光景を見せられたヨハネが大地震、戦乱など、あらゆる厄災を描写した。天使と悪魔の戦い、最後の審判、そしてイエス・キリストの再臨も記されている。ヨハネの黙示録はその後のキリスト教思想、そして西洋における終末論、黙示思想から現代新宗教の思想にいたるまで多大な影響を及ぼし続けている。

ヨハネが神の言葉を聞いたとされる洞窟内の岩の裂け目は、フレスコ画やイコンで飾られ現在でも人々の祈りの場となっている。

そして、この黙示録の洞窟を聖なる場として建てられたのが聖ヨハネ修道院である。1088年に建設されたが、それ以前はアルテミスの神殿があったという。海賊やトルコ軍人から洞窟や村人を守るために修道院は少しずつ要塞化されていった。ここには貴重なキリスト教の美術の品々が現存している。11世紀にローマ皇帝が聖ヨハネ修道院を建てたギリシャ正教会の首長クリストドゥロス大主教に送った手紙(羊皮紙)も保存されている。

参考文献リスト

UNESCOのページ

http://whc.unesco.org/en/list/942/gallery/

Google Arts & Culture(聖ヨハネ修道院の所蔵品116点の画像を閲覧できます:2015年1月現在)

https://www.google.com/culturalinstitute/collection/patmos-monastery?hl=ja