統一新羅王朝の都であった慶州(韓国南東部)にある仏教建築。統一新羅中期の宰相、金大城によって751年に建造されたと伝えられる。花こう石を積み上げて造られた石窟庵には、如来坐像(阿弥陀如来とも)が安座している。一方、石窟庵のある吐含山のふもとにある仏国寺は774年に完成した寺院である。境内は、現世の娑婆世界、天界の西方浄土世界、来世の蓮華台蔵世界を象徴して、3つの領域に分かれており、新羅の仏教観を今に伝える。両者ともに極東における仏教美術の傑作であるとされる。
仏国寺は、豊臣秀吉の朝鮮出兵(1952年)の際、主要な部分が焼き払われた。また、朝鮮王朝時代には仏教信仰が廃れていき、石窟庵は1909年に郵便配達員によって偶然発見されるまでその存在が忘れ去られていた。現在では修復工事も完了し、多くの観光客を受け入れている。韓国における仏教盛衰の歴史を物語るものとしてこうした過程も興味深い。