リヴィウ歴史地区

リヴィウは5世紀半ば頃からバルト海と中央ヨーロッパ、地中海、アジアを結ぶ交易拠点として発展し、10世紀頃にはキエフ・ルーシとポーランド王国が領有権をめぐって争うほどの豊かな都市として名を馳せていた。やがて、商業ばかりでなく、宗教・文化の中心地としても繁栄をみせるようになる。

1340年にポーランド領になり、1412年にはカトリック教会の大司教座が置かれるようになった。当時のリヴィウのカトリック・コミュニティを構成していたのは、主にドイツ人、ポーランド人、イタリア人、ハンガリー人であったが、それに属さないウクライナ人、アルメニア人、ユダヤ人の共同体には自治が認められていた。それぞれの民族の間にはライバル意識が働いており、建築や芸術の分野で名声を競い合った。都市の景観からは、さまざまな民族・宗教共同体が共存していた痕跡が今なお見て取れる。

リヴィウの宗教を特徴づけるものにウクライナ・カトリック(東方典礼カトリック)がある。1596年、ポーランド=リトアニア共和国の支配下にあったルテニア人(ウクライナ西部やベラルーシなどに居住)は、東方正教の典礼と慣習を維持することを条件に、教皇首位とカトリック教義を受け入れた。現在もウクライナでは、東方正教(ウクライナ正教)に次ぐ規模の信仰共同体である。

1772年の第1次ポーランド分割によってオーストリア帝国領になって以来、リヴィウの支配層はドイツ人となり、ドイツ語が公用語となるなど、ドイツ化政策が進められた。多くの宗教施設が閉鎖され、中世からの由緒ある施設さえ世俗の建物に転用された。しかし、1860年代以降、大幅な自治が認められてからは、ポーランド人やウクライナ人それぞれの手によって宗教・文化復興運動が繰り広げられた。

支配=被支配の関係はありつつも多民族が共存してきたリヴィウの雰囲気は、20世紀に入り一転した。1941年のリヴィウ・ポグロムではドイツ人やウクライナ人の民族主義者の手によって多数のユダヤ人が殺害され、生き残った11万人のユダヤ人もナチスの占領下で大半が絶滅収容所に送られた。ソ連に組み込まれた第二次世界大戦後にはドイツ人やポーランド人は自国領に(場合によっては強制的に)移住し、ウクライナのロシア化・ソ連化が進められた。無神論を標榜する共産党政府による宗教弾圧とあいまって、特にウクライナ・カトリック教会が弾圧の対象となった。

主要な宗教建築物(宗教別)

◆アルメニア使徒教会

アルメニア教会は、12世紀末~13世紀にトルコの侵攻により、コーカサスの故地からウクライナに避難してきたアルメニア商人の信仰や文化の拠点として建造された。キリスト教を受け入れて間もないウクライナ人は、4世紀にキリスト教を国教として受容したアルメニア人の信仰や宗教文化を手本としたばかりでなく、職人や芸術家の技術・技法を積極的に取り入れた。アルメニア人は中世リヴィウを構成する主要な民族共同体として、教会だけでなく、独自の学校や病院、劇場、図書館、印刷所なども設立していた。教会内部は色鮮やかなステンドグラスやモザイクで飾られているが、これは1920年代にユダヤ人(後に改革派キリスト教に改宗)のヤン・ヘンリク・ローゼンによって描かれたものである。建造当時の14~15世紀の貴重なフレスコ画の修復も進み、中庭には木彫りのキリスト受難のレリーフと13~18世紀のアルメニア人墓地が移築された。17世紀に作成された2枚のイコン(「聖ゲオルギー」「神の母」)には奇跡の力が宿ると考えられている。

◆ウクライナ・カトリック教会

17世紀に建造された要塞のようなシトー会(ベルナルド会)修道院の城壁は、かつてモンゴルの襲撃から町を守ったと言い伝えられる。現在はウクライナ・カトリックの「聖アンドレイ教会」となっている。

丸いドームを持つドミニコ会修道院はソ連時代には「宗教と無神論博物館」になっていたが、現在、教会部分はウクライナ・カトリック教会に返還された。かつて修道院だった建物は「宗教博物館」と改称され、無神論に関する展示は撤去された。カトリックやウクライナ・カトリックに限らず、イスラーム仏教、ユダヤ教の資料や考古学的知識など、世界の宗教文化を教える場となっている。

聖ゲオルギー大聖堂は、中世の都市の外側の丘に建つ。当初はビザンツ様式で建造された東方正教の教会堂であったが、18世紀に大聖堂へと増改築され、ウクライナ・カトリックの教会となった。イタリア・バロック様式と、伝統的なウクライナの空間的レイアウトが融合した建物で、壁画や彫刻などで豊かな装飾が施されている。ソ連時代にはロシア正教会に編入されたが、現在はウクライナ・カトリック教会に返還されている。

こういった他教派の教会からの転用の例だけでなく、新しい教会堂の建設もみられる。変容教会は、ウクライナ独立後、初めて建てられたウクライナ・カトリックの教会堂である。

◆カトリック教会

カトリック教会の大聖堂は14~15世紀にかけてゴシック様式で建造されたが、18世紀にバロック様式で増改築された。大聖堂の裏手にはハンガリー商人のボウイム家の廟がある。

イエズス会修道院と神学校は、17世紀の建造当時はポーランド=リトアニア共和国で最大の教会であり、80mの高さの時計台は周辺地域で最も高い建物であった(1830年に上部が崩落)。ドミニコ会修道院とならび、リヴィウで最も壮麗なバロック建造物と言われたが、壁画などはソ連時代に損傷が進んだ。

参考文献