ワルシャワの歴史地区

ポーランドの首都、ワルシャワは中央ヨーロッパの経済・文化の拠点となっており、第二次世界大戦中に完全に破壊されたにも関わらず、「壁のひびの1本まで」と言われるほど厳密に再建されたため、「不死鳥の町」と呼ばれる。宗教文化の視点からも昔から多宗教の町として有名であり、ヨーロッパの宗教史において重大な出来事である「ワルシャワ連盟協約」(1573年)が成立した場所である。この協約は、ヨーロッパで初めて信教の自由を保障したものである。当時のポーランドが東からロシア正教のモスクワ大公国、南からイスラームのオスマン帝国、そして宗教改革中の西ヨーロッパの間に挟まれ、いろいろな「異教徒」の避難場所となっていたことを背景としている。20世紀初頭まではこの多宗教性を反映して、数百もの礼拝所が存在していたと言われるが、1939年からのナチス・ドイツの占領で町の85%以上が灰燼となった。しかし、1945年から1966年にかけてワルシャワ市民が町の復元に取り組んだため、歴史地区のほとんどが18~19世紀のワルシャワの姿に戻っている。

【主な宗教関連遺産】

聖ヨハネ大聖堂

14世紀に建てられたワルシャワの最古の聖堂は20世紀上旬まで19世紀のゴシック・リバイバル様式の代表作として有名であったが、1944年に教会の壁の90%が壊された。現在の建物は17世紀に描かれた絵を元に復元された。そのため、元のゴシック様式に戻っている。

聖十字架教会

元の教会は17世紀に建てられ、入り口十字架を背負うキリスト像が建てられたことから、聖十字架教会と名付けられた。教会には著名な歴史上の人物の墓がたくさんあるが、現在、多くの人がこの教会を訪れる一番の理由は教会の柱の中にフレデリック・フランソワ・ショパンの心臓が安置されているからである。ドイツ軍によって教会が壊された時に、ショパンの心臓はすでに他のところに隠されていたので、奇跡的に、戦争後無事に教会に返却された。

ヴィジトキ教会

カトリックの女子修道会である聖母訪問会の教会で、18世紀に建てられた。ワルシャワで、第二次世界大戦中にナチスによって破壊されなかった数少ない教会の1つである。1825~1826年には当時音楽学校の生徒だったショパンが、日曜日のミサでこの教会のパイプオルガンのオルガニストを務めた事で知られている。その後、多くのパイプが取り替えられたが、オルガンの外観は当時のまま保たれている。

参考文献

ワルシャワの旧市街

ワルシャワの聖十字架教会

ワルシャワの聖ヨハネ大聖堂

ワルシャワの新世界通り

ヴィジトキ教会-独立記念日のパレード

ヴィジトキ教会

コペルニクスの像

ワルシャワのアダム・ミツキェヴィチ像