デリーのフマユーン廟

 インドの首都ニューデリーの南東デリーに位置するフマユーン廟は、ムガル帝国第2代皇帝フマユーンの廟墓で、1993年に世界遺産に登録された。

 フマユーンは、父バーブルの建国したムガル帝国をアフガン系スール族のシェール・ハーンに奪われたのちに15年の間ペルシャで亡命生活を送り、帰国してムガル帝国を再建するもその後わずか半年で事故死した。当時、宮廷の一角にある図書館にいたフマユーンは、モスクからの呼びかけで神に祈ろうとしたところ着物の裾を引っ掛けて階段から転落し、頭を打って亡くなったと言われている。その後フマユーンの死を悼んだ妃ハージー・ベーグムの命令により、9年をかけて霊廟が作られ、1565年に竣工した。建設を命じた妃ハージー・ベーグム自身を含め、家族やムガル朝関係者ら150人以上がフマユーンとともに埋葬されている。

 

 フマユーンはペルシャでの亡命生活後、建築家と職人を連れて帰国しており、そこでペルシャの伝統的で高度な建築様式が導入され、新しいインドの建築様式・ムガル建築が生まれたとされている。フマユーンの霊廟と庭園は、約90年後の1653年に5代目のシャー・ジャハーン帝が亡き妃ムムターズ・マハルのために建てた世界遺産タージ・マハルにも多大な影響を与えており、ムガル建築はその時期に美しさの絶頂を極めた。

 

◆霊廟

 アーチが連なる正方形の基壇の中央に高さ38mの霊廟がそびえており、四方のどこから見ても同じ立面をもっている。ペルシャの影響を大きく受けた建物には、赤砂岩と白大理石が巧みに組み合わされ幾何学的なデザインがあしらわれている。内部には大きな八角形の間が中央にあり、その他の墓室や回廊で囲まれている。

 

◆庭園

 霊廟の四方は庭で囲まれている。庭園は、4つの区画に分けられた正方形で構成されるペルシャ式の四分庭園(チャハルバーグ)が採用されており、庭を格子状に区切るように水路が通っている。中近東の砂漠地帯で生まれたイスラム教にとって川が流れる緑の庭園は天国を再現しているとされている。同様の形式はスペインのアルハンブラ宮殿でも用いられている。

 

参考文献リスト

・小学館2010『小学館DVDマガジンNHK世界遺産100』No.35「イスラムの栄華:タージ・マハル」小学館



霊廟(正面)

庭園から見た霊廟

庭園

霊廟の基壇

霊廟の西ファサード