ゴアはインド半島の西岸、ムンバイの南約400kmに位置する。この遺産群一帯は、現在「オールド・ゴア」と呼ばれるが、その名称は1760年頃に疫病の流行によって市民の多くがパナジ(ゴア州の州都)へ移り、そこが「新ゴア」と呼ばれていることから来ている。この地域は1510年にポルトガルの植民地となって以来、20世紀までポルトガル領であり、カトリックの修道会によるアジア宣教の拠点となった場所である。大航海時代には聖三位一体会、フランシスコ会、ドミニコ会やイエズス会といった修道会によって、カトリックの教えが広められた。現在でもポルトガル領時代からの教会群、修道院群が多く存在し、それらが世界遺産を構成している。
遺産群の中でも、セ・カテドラル(Se Cathedral、大司教座聖堂)は現存する最大の教会堂で、1619年に建てられた。また、1783年に再建されたボン・ジェズス(Bom Jesus)教会には、日本にキリスト教を宣教したイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルの遺体が安置されている。イエズス会は、スペインのイグナティウス・デ・ロヨラが1534年に6人の同志とともに創立した修道会で、ザビエルもその創立メンバーの1人である。先に行われていた諸修道会による宣教がインドにおいて停滞傾向にあったなかで、ポルトガル国王ジョアン3世やローマ教皇らは新たにイエズス会をゴアに派遣した。イエズス会はそれを機にポルトガルとの結びつきを強め、ポルトガル領東インドに自らの宣教拠点を獲得し、教勢を強めた。ザビエルの日本への案内者となったヤジロウら3人の日本人が学んだ聖パウロ学院(St. Paul's college)のアーチ(聖パウロ修道院遺壁)や、現在は博物館となっている聖フランシスコ教会などからもアジア世界における宣教の歴史をうかがい知ることができる。
これらの建造物群は南アジア各地へマヌエル様式(大航海時代にポルトガルで流行した様式)、マニエリスム様式(ルネサンス後期の様式)、バロック様式といったヨーロッパの建築様式を広める上でも大きな影響力を持った。その一方でイスラム教やヒンドゥー教の建造物は破壊されたとも言われている。
杉崎泰一郎(2015)『修道院の歴史―聖アントニオスからイエズス会まで―』太洋社
高橋裕史(2006)『イエズス会の世界戦略』講談社