サンクト・ペテルブルグ歴史地区と関連建造物群

1698年、18ヶ月に及ぶヨーロッパ諸国歴訪の旅から帰国したロマノフ朝のピョートル大帝は、ロシアのヨーロッパ化に着手した。1700年、「ヨーロッパへの窓」となるバルト海沿岸の良港を手に入れるため、スウェーデンへの攻撃を開始し、1703年、ネヴァ川河口の湿地にペトロパヴロフスク要塞を完成させた。これが、サンクト・ペテルブルクの起源である。湿地帯での都市建設は難渋し、疫病や過労で多大な死者を出した。

やがて42の島々と86の分流や運河から成る壮大な「水の都」が完成し、1712年に遷都された。帝政ロシアがヨーロッパ列強と肩を並べ、さらにその中心的な役割を果たすようにというピョートル大帝の野望の下で、フランスやイタリアから招聘された芸術家によって、華麗で壮大な建築物が次々と建てられた。その後も、エカチェリーナ2世、アレクサンドル1世、ニコライ1世らにより都市は拡張、発展を続け、18世紀後半~19世紀初頭にかけて栄華を極めることとなる。しかし、デカブリストの乱(1825年)、アレクサンドル2世の暗殺(1881年)、血の日曜日事件(1905年)などを経て、1917年、ロシア革命によりロマノフ朝は終焉を迎え、1918年、首都は再びモスクワに遷された。

【主な宗教遺産】

ペトロパヴロフスク聖堂は、イタリア系スイス人建築家ドメニコ・トレッツィーニの設計により、ペトロパヴロフスク要塞に建設された聖堂。122mもの高さの金色の尖塔を備え、ピョートル大帝をはじめとする歴代皇帝の墓所となっている。

ピョートル大帝は1710年に自らの守護聖人「聖イサク」に捧げる木造教会を建造した。その後、教会は幾度も改築され、現在の聖イサク聖堂はフランス人の建築家オーギュスト・モンフェランによる設計で40年もの歳月をかけて1858年に完成した。高さ・幅・奥行それぞれが約100m、14,000人が収容可能な世界有数の巨大聖堂である。金色の円屋根を頂き、内装だけで400kgの金と1000tの銅が用いられたという。円屋根部分に描かれた天井画はカルル・ブリュロフ作の「生神女マリア(西方教会でいう聖母マリア)の栄誉」。天井画には、その他、ヒョードル・ブルーニ作の「最後の審判」などがある。

1907年に建造された血の上の救世主教会は、純ロシア風の外観。1881年に皇帝アレクサンドル2世が暗殺された場所に、息子のアレクサンドル3世の命により建立された。内部も外観も、色鮮やかなモザイクで覆われている。

ロシア人建築家アンドレイ・ヴォロニヒンが建てたカザン聖堂は、バチカンのサンピエトロ大聖堂を模して建造されたと言われる。両腕を伸ばしたような回廊に、ギリシャ風の列柱が立ち並ぶ。聖堂は、1612年にポーランド軍を撃退して以来、ロシアの守護神とされるようになった「カザンの生神女」のイコンを安置するために建設された。

アレクサンドル・ネフスキー大修道院には、中世ロシアの英雄でロシア正教の聖人でもあるアレクサンドル・ネフスキー(ネヴァ川のアレクサンドル)の遺体が安置されている。これは、それまでウラジーミルに安置されていた遺体を、1723年にピョートル大帝が運ばせたもの。修道院の敷地内にあるチフヴィン墓地には、作家ドストエフスキーやレールモントフ、バレエ・ダンサーで振付師のプティパ、作曲家チャイコフスキー、ムソグルスキー、リムスキー=コルサコフ、ボロディンなど、名だたる芸術家が埋葬されている。

18世紀、皇帝エリザベータ1世は女子教育の場としてスモーリヌイ修道院を建設し、その後、エカチェリーナ2世によって女学校が開設された。ロシア革命まで、貴族の令嬢の教育の場となった。

エルミタージュ美術館に収蔵されているのは、主にエカチェリーナ2世が収集した美術コレクションで、収蔵品の数は大英博物館と並ぶ。ラファエロ、ダ・ヴィンチ、ルーベンス、レンブラント、エル・グレコなど、宗教画を含む西洋美術の名画の数々が展示されている。→本ページ下部【エルミタージュ美術館が所蔵する宗教画リスト】参照

ロシア美術館には、古代から現代までのロシア絵画が収集されており、イコンの展示が見所の1つとなっている。特にアンドレイ・ルブリョフの「聖パウロ」と「聖ペテロ」が知られている。→本ページ下部 【ロシア美術館が所蔵する宗教画リスト】参照

参考文献

UNESCOのページ

http://whc.unesco.org/en/list/540/gallery/

CERC「映画と宗教文化」のページ

聖イサク聖堂

血の上の救世主教会

【エルミタージュ美術館が所蔵する宗教画リスト】 外部リンク(Google Arts & Culture)

≪旧約聖書≫

レンブラント『ダヴィデとヨナタン』 →画像

≪新約聖書≫

レンブラント『天使のいる聖家族』 →画像

レンブラント『放蕩息子の帰還』 →画像

エル・グレコ『聖ペトロと聖パウロ』 →画像

≪神話≫

不詳『ユピテル像』 →画像

不詳『アフロディテ』 →画像

不詳『ディオニュソス』 →画像

アントニオ・カノーヴァ『クピドとプシュケ』 →画像

アントニオ・カノーヴァ『三美神』 →画像

アントニオ・カノーヴァ『気を失うプシュケ』 →画像

【ロシア美術館が所蔵する宗教画リスト】 外部リンク(Google Arts & Culture)

≪イコン≫

ディオニシウス『嬰児を抱く生神女マリア』 →画像

不詳『べロゼルスクの謙譲の生神女』 →画像

不詳『金髪の天使』 →画像

不詳『キリストと聖人たちの地獄への降下』 →画像

アンドレイ・ルブリョフ『聖ペテロ』 →画像

アンドレイ・ルブリョフ『聖パウロ』 →画像

不詳『聖ゲオルギの竜退治の奇跡と聖ゲオルギの一生』 →画像

不詳『聖ゲオルギの竜退治の奇跡』 →画像

不詳『聖ボリスと聖グレブ』 →画像

≪油彩≫

クジマ・ペトロフ=ヴォトキン(Kuzma Petrov-Vodkin)『邪心に対する謙譲の生神女』 →画像

学生時代より、作成したイコンがサマーラのロシア正教会に飾られるなど活躍を見せる一方、作風が性的かつ冒涜的として教会から作品が撤去、破壊されるなど、宗教画家としては毀誉褒貶の相半ばする画家。

ヴィクトル・ヴァスネツォフ(Viktor Vasnetsov)『岐路に立つ騎士』 →画像

中神学校を終えた後、画家に転身し、神話や宗教を題材とした絵画を多数残した。

ミハイル・ヴルーベリ(Mikhail Vrubel)『飛ぶデーモン』 →画像

ヴェネツィアで中世美術を学び、豊かな色彩感覚を特徴とする宗教画家としてキャリアをスタートさせた。後年の暗い色調の『デーモン』シリーズも有名。

アレクサンデル・イヴァノフ(Alexander Ivanov)『復活の後マグダラのマリアの前に出現したキリスト』 →画像

20年に及ぶイタリア滞在中、聖書をモチーフとしたスケッチを多数残した。

ヴァシリー・ペロフ(Vasily Perov)『修道院の食堂』 →画像

民衆の姿を描いたリアリズム画家。晩年には、『福音』シリーズとして、ロシアの風土、民俗の中に福音書のモチーフを描き出した。