エディンバラは15世紀以来のスコットランドの首都である。旧市街は高台にあるエディンバラ城から、ホリルード宮殿へと続いており、その道は「ロイヤル・マイル」と呼ばれる。ホリルード宮殿は現在でも英国王室の保養地として使用されており、また現在は廃墟となっているホリルード修道院には、歴代のスコットランド王が葬られている。
エディンバラ城は12世紀頃から要塞として機能してきた。当時の建物として現存するものにセント・マーガレット礼拝堂がある。これはスコットランド王デイヴィッド1世が亡き母に捧げるために建造した私的な礼拝堂である。また城内には、15~16世紀に建造された宮殿や広間のほか、女王メアリー1世(メアリー・スチュアート)がジェームズ6世を生んだ産室も残されている。旧教徒(カトリック)であったメアリーは、新教徒と旧教徒との対立が激化するなか25歳で廃位され、生後13か月で王位に就いた我が子を残し、英国に亡命する。メアリーはイングランドのエリザベス女王暗殺の嫌疑をかけられ処刑されるが、その激動の人生は小説や映画の題材とされることも多い。また、近年では小説「ハリー・ポッター」がエディンバラで執筆されたことから、エディンバラ城はホグワーツ魔法学校(ホグワーツ城)のモデルではないかと言われるようになり、ファンによる「聖地巡礼」の対象ともなっている。
ロイヤル・マイルの中ほどにはセント・ジャイルズ大聖堂がある。1124年にアレクサンダー1世王(同年没)とその後継者デイヴィッド1世王によって建造された。この二人の王は、シェイクスピアの戯曲『マクベス』に登場するマルコム(マクベスに父ダンカンを殺害される)の息子たちである。守護聖人のジャイルズ(ラテン語ではアエギディウス)は7世紀の隠者で、植物や唯一の友としていた鹿の乳によって暮らしていたところ、狩りに訪れた王が鹿を射り、それを庇ったジャイルズは腕を射られたというエピソードで知られる。このことから、ジャイルズは乳母、身体障碍者、ハンセン病患者の守護聖人とされている。
大聖堂は創建当時はカトリックの聖堂であったが、1560年以降、スコットランド国教会の教会堂となった。スコットランド国教会は長老派(カルヴァン派)であり、法律上は「国教」ではなく「国民教会」と定められている。聖堂内部のステンドグラスや像には、いたるところに宗教改革者ジョン・ノックスの姿が描かれている。ノックスは1505年にエディンバラ近郊で生まれ、セント・アンドリュース大学で学んだ後、カトリックの司祭となったが、後にカルヴァン派に改宗した。1551年には英国王エドワード6世にロンドンに招かれ、王の御前で説教を行うまでになったが、旧教徒のメアリー1世の即位に伴いスコットランドを離れ、ドイツ、スイスなどを転々とした時期もあった。1560年にローマ教皇庁と決別したスコットランドで、ノックスはエディンバラ監督となり、礼拝の様式の簡素化や救貧、教育の普及に尽力し、一般の信徒がより聖書に親しむよう努めたとされる。
説教をするノックスの像はエディンバラ大学(ニューカレッジ)の前でも見ることができる。同大学は16世紀からの歴史を持ち、世界遺産に指定されている旧市街の建物の多くが大学の所有物である。卒業生には、哲学者のデイヴィッド・ヒュームやアダム・スミスのほか、自然科学分野ではチャールズ・ダーウィン、アレクサンダー・グラハム・ベル、医師で後に推理小説作家となったコナン・ドイルなどがいる。
町の中心部にある丘はアーサー王の玉座と呼ばれる。その正体は3億5千万年前に噴火した死火山であるが、5~6世紀のケルト族の王とされるアーサー王にちなんだ名前で呼ばれている。アーサー王にまつわる地形は英国内に多数あり、史実との関連は不明であるが、エディンバラのこの丘は多くの英文学作品の中で象徴的な場所として扱われている。また、新市街に位置するカールトン・ヒルは、かつてはその麓に闘技場、ハンセン病患者の収容施設、墓地などが置かれてきた場所であるが、現在は丘の上に並び立つさまざまな記念碑によって知られている。なかでも、ネルソン提督がトラファルガーの海戦で勝利したのを記念した塔「ネルソン・モニュメント」と、ナポレオン戦争(1803~15年)で亡くなったスコットランドの兵士を顕彰するために建てられた、ギリシャのパルテノン神殿を模した「ナショナル・モニュメント(国民記念碑)」は、町のランドマークになっている。