イスタンブールの歴史地区*

ヨーロッパとアジアは、ボスポラス海峡を境として分たれているが、イスタンブールはその海峡を挟んで2大陸にまたがっている都市である。その立地上、軍事や交易の拠点として重視され、古代からその領有権をめぐって何度も抗争が繰り広げられた。そして、東西の文化が出会うこの地は、宗教的拠点としても歴史上重要な意味をもってきた。

4世紀、当時コンスタンティノープルと呼ばれていたこの地には、ローマ、アンティオキア、エルサレム、アレクサンドリアと並んでキリスト教の五大総主教座の一つが置かれた。その後11世紀半ばに、キリスト教が東の正教会、西のカトリックに分裂したことに伴い、当時はビザンツ帝国の首都であったコンスタンティノープルはギリシャ正教会の本拠地となった。しかし、13世紀初頭には、ローマ教皇が派遣した十字軍によって占領され、衰退を経験する。その後1453年にオスマン帝国によってビザンツ帝国が滅ぼされ、イスラーム勢力であるオスマン帝国の新首都となった。

そうした歴史の変遷を体現しているのが、最も有名なアヤ・ソフィアである。もともとはキリスト教の大聖堂であり、ギリシャ正教の総本山であった。十字軍の占領下ではローマ・カトリック教会として使用されていたこともある。オスマン帝国の下ではモスクに改装され、モスクの象徴であるミナレットも建てられるが、トルコが共和国となった後の1935年には博物館に変更された。(2020年、トルコの大統領はアヤ・ソフィアの博物館としての地位を取り消し、モスクとして再開する方針を発表した。現在はギリシャをはじめとして、各国やユネスコとの間でその扱いに関して議論が続いている)

イスタンブールの街並みや建造物は、政治と宗教が複雑に絡み合いながら変動してきたこの土地の歴史を物語っているといえる。

参考文献リスト