ダラム城は、ノルマン征服(ノルマン・コンクエスト)があった6年後の1072年に、ウィリアム征服王(ウィリアム1世、ノルマン朝の初代イングランド王)の命によって建てられた。三方をウェア川に囲まれ半島のようになっている土地に建てられたダラム城は、当時、在地のイングランド人の反乱分子を統治するため、またスコットランドに対する防衛の要所としても重大な役割を担っていた。 1071年にダラム司教となったウィリアム・ウォルチェーは、1076年にウィリアム征服王からノーサンブリア伯爵位を授与されたことで、「プリンス・ビショップ・オブ・ダラム」と呼ばれるように聖俗において強大な権力を有するようになった。「プリンス・ビショップ・オブ・ダラム」の地位はこののちも受け継がれ、ダラム司教はイングランドにおいても独自の地位を築いていくことになり、代々のダラム司教の居住地となったダラム城も、防衛拠点としての役割と並行して宮殿としても発展していった。
1832年にダラム司教の居住地としてオークランド城が建てられると、ダラム城はダラム大学に寄付されキャンパスとして使用されることになった。要塞部分はダラム大学の学生寮としても使用されているが、城の内部はガイドツアーに申し込めば見学できる。
ダラム大聖堂は北部イングランドにキリスト教を広めた聖カスバート(635-687)を祀るため、ノルマン人によって1093年から1133年の間に修道院聖堂として建てられた。聖カスバートは死後リンディスファーン島に埋葬されたが、11年後の698年に修道士たちが棺を開けると、彼の遺体はまるで眠っているかのように腐敗しないで残っており、衣服も全く新しいままであったと伝えられている。この奇蹟を目の当たりにした人々は、聖カスバートの遺体と棺を地上に持ち出し、それらは以後1170年にトマス・ベケットが亡くなるまで人々の巡礼の中心となった。聖カスバートの聖遺品はヴァイキングによる襲撃を逃れるため修道士とともに各地を転々としたが、最終的には995年にダラムの地に落ち着き、1093年に当時のダラム司教が大聖堂建築に着手すると、1104年には大聖堂祭壇の背後に安置された。698年に修道士たちが奇蹟を目撃したときの棺の一部は、現在でもダラム大聖堂の宝物庫で見ることができる。
ダラム城とダラム大聖堂はどちらも映画「ハリー・ポッター」のロケ地として使用されたことで、有名な観光地の一つとなっている。
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