ブハラ歴史地区

ブハラは紀元前からシルクロードのオアシス都市として繁栄したとされるが、8世紀初頭にアラブ人が進出して以来、イスラーム化が進み、交易や学問の中心地となった。713年には既に最初のモスクが建設されている。13世紀初頭にモンゴル帝国の襲撃を受けて破壊されたが、14世紀にはティムール朝の支配下で復興し、サマルカンドに次ぐ大都市としての地位を確立する。中央アジアのみならず、イスラーム世界全体にとっての神学や芸術の中心地となり、100余のマドラサ、200を超えるモスクが建造された。市街地は、中世の町並みの景観を今に伝えている。

20世紀初頭にウズベキスタンはソ連に編入されたため、社会主義イデオロギーに基づき宗教を否定する政策がとられたが、イスラーム建築や歴史的な町並みは文化財として保存された。1991年のソ連崩壊により独立した後は、伝統的なイスラームへの回帰が唱えられ、モスクやマドラサなどの宗教遺産の修復が進められている。

主な宗教遺産

カルヤーン・ミナレット

12世紀に建造されたミナレットで、高さは46m。13世紀のチンギス=ハーンによる侵攻の際にも、このミナレットだけは壊されなかったとされる。

ウルグ・ベク・マドラサ

ティムールの孫であるウルグ・ベクが15世紀に建造した中央アジア最古のマドラサ。

ミール・アラブ・マドラサ

16世紀に建造された際、建築費用を調達するため、3千人の奴隷が市場で売られたという逸話がある。ソ連時代、多くのマドラサが活動を禁止されたが、ミール・アラブ・マドラサだけは開講を許され、現在に至るまで神学校として機能している。

マゴキ・アッターリー・モスク

10世紀に創建されたブハラ最古のモスク。1934年に砂の中から発掘された。

イスマーイール・サーマーニ廟

9世紀末~10世紀初頭にサーマーン朝2代アミールのイスマーイールが父のために建てたもの。長く砂に埋もれていたため、モンゴル侵攻などの際にも破壊されることなく、1925年に無傷で発掘された。イスラーム教とゾロアスター教の両建築様式を兼ね備えている点が指摘されている。レンガの積み方で壁面に模様を浮き上がらせる手法は、後の建造物などにも踏襲されている。

参考文献リスト