ムザブの谷

先住民ベルベル人の一部族であるムザブ族は、コーラン(クルアーン)を厳格に解釈し、その独自の解釈に忠実に生活することで「イスラームの清教徒(ピューリタン)」と呼ばれる。現在のアルジェリアではスンニー派が主流であるが、ムザブ族は、10世紀頃に北アフリカの一部で支持を集めていたイバート派の教えを現在まで受け継いでいる。

10世紀当時、イバート派は主流派から異端とみなされ迫害されていたが、1013年、長い放浪の旅の末にサハラ砂漠北部の涸れ谷に定住した。ムザブ族は、不毛の地に深さ100mにも及ぶ井戸を掘り、木を植え、都市の周りには突発的な豪雨による洪水を防ぐための防護壁を張り巡らせ、5つのオアシス都市を築いた。

都市は平等の思想に基づいて建設されており、その原則はモスクにも適用されている。礼拝のための建物であっても、他の建物より大きかったり華美であったりすることは認められていない。モスクは日干しレンガで作られ、壁が白く塗られているだけである。また、12世紀に造られたシャーバ・モスクは地下にある。モスクは武器弾薬庫、食糧貯蔵庫としても機能し、襲撃を受けた際には人々はモスクに逃げ込んだ。ミナレットは見張り棟の役割も果たし、先端に行くほど細くなり、突端は王冠のような形をしている。

斜面の最も高い場所に建てられたモスクを中心に、谷には民家が同心円上に広がっている。ムザブ族の住居は、椰子の木組みに泥の壁を塗り固めた矩形のもので、色合いも均質である。一般的なイスラーム建築とは異なり、小さな明かり取り以外に窓がなく中庭もない。このように、非常にキュビズム的な都市景観は、ル・コルビュジェやミース・ファン・デル・ローエなど、西欧の建築家を魅了し、大きな影響を与えた。特に、エル・アティーフにあるシディ・イブラヒムの霊廟は、コルビュジェの代表作「ロンシャンの礼拝堂」のデザインに強い影響を与えたと言われる。

ムザブの谷には、住民の慣習や道徳面を監督する審判官(テブリア)が存在する。結婚などの習俗や、衣服など生活一般について厳しい戒律があり、外出の際、女性は白いチャドルで全身を覆い、片目だけを出すのが一般的である。都市は迷路のように入り組んでいるが、これは「邪視(悪意のある視線を相手に向けることで呪いがかかるという民間信仰)」を防ぐ意味があるという。重大な罪を犯した者は町の一区画に隔離され、「犯罪者」どうしで共同生活を送るという伝統的刑罰が現在も行われている。ガルダイヤ以外の4つの町では旅行者の宿泊や飲酒・喫煙は禁じられ、イスラム教徒以外はガイドなしで立ち入ることができない。住民と会話を交わすことや人物写真を撮影することも禁じられている。

参考文献