バクー市は、カスピ海西岸の国アゼルバイジャンの首都であり、カスピ海に突き出たアブシェロン半島に位置するコーカサス最大の都市である。
アゼルバイジャンは多数の民族、宗教、国が入り乱れる複雑な歴史を辿っており、それが首都バクー市の景観の特徴にも深く関わっている。
現在アゼルバイジャンと呼ばれるこの地域には、かつて様々な民族がいたことが知られているが、なかでもアルバニア族の王国は隣接するアルメニアの影響により4世紀にキリスト教へ改宗した。しかしその後、南方のイラン高原に位置するサーサーン朝に併合され、同朝の国教であったゾロアスター教の広まりにより当地ではイラン文化が浸透した。さらに、7世紀にはこの地域をアラブ・イスラーム国家が制服するようになり、イスラーム化が徐々に進行していくなかで、9世紀ごろにシルヴァン地方を中心にマズヤド朝が興り、君主の称号としてペルシア語で「シルヴァンの王」を意味する「シルヴァンシャー」を用いた。マズヤド朝(861-1027)と、16世紀まで続く後継の王朝は、君主の称号から「シルヴァンシャー王朝」とも総称され、南東コーカサスの東部を支配し、現在のバクー市に残される城塞都市の景観を形成した。
ところが、シルヴァンシャー王朝は16世紀にシーア派のサファヴィー朝の支配下に入ったことで滅亡し、その後は一時的にオスマン帝国の支配を経験しつつ、1722年のサファヴィー朝滅亡後は地方政権の自立、ガージャール朝による再統一を経て、19世紀はじめにロシア帝国に併合された。ロシア革命後は民族国家のアゼルバイジャン人民共和国を経て社会主義共和国としてソヴィエト連邦に所属、1991年にソ連邦が解体することでようやくアゼルバイジャン共和国が成立するのである。
現在、アゼルバイジャンでは国民の90%以上をイスラム教徒が占める(そのうち約7割がシーア派で3割がスンニ派)が、上記のような複雑な歴史的経緯を背景として、城壁都市バクーはゾロアスター教、サーサーン朝、アラブ、ペルシア、シルヴァン朝、オスマン帝国、ロシア文化の影響を受けた、歴史的な都市景観と独特の建築様式を持つと評されている。
バクー市内には、アゼルバイジャン語で「内城」の意の「イチェリ・シェヒル(Icheri-Shekher)」と呼ばれる城壁に囲まれた旧市街地があり、9世紀から16世紀までバクーを支配したシルヴァンシャー朝時代の街並みが保存されている。世界遺産に指定されているこのエリアには、現在は博物館になっているシルヴァンシャー宮殿や、乙女の塔のほか、モスク、ハマム(浴場)、マドラサ(イスラーム学校)、キャラバンサライ(隊商宿)、ゾロアスター教寺院などの歴史的建造物が数多く残る。
・シルヴァンシャー宮殿
旧市街地中心部の高台にそびえるシルヴァンシャー宮殿は、シルヴァン朝のシルヴァンシャフハーン一族により建造された。宮殿本体や付属のモスク、王家の霊廟、ハマムなど9つの建物から構成されており、建築年代は多少異なるもののおおむね15世紀の建造とされている。地産の石灰岩を使って作られた建物はシンプルな外観をしており、一時的に廃墟となったり、ロシア帝国の占領期には司令部として使われたことがあるが、現在、宮殿部分は博物館として保存・活用されている。
・乙女の塔
旧市街地のシンボルとなっている乙女の塔は、部分的に紀元前6-7世紀に遡る最も古い建造物のひとつで、当初はゾロアスター教寺院として建設されたと言われている。現在の塔は、当初の建造物を基礎として12世紀に要塞として建造されたものであり、その背景には当時カスピ海の海賊による略奪が活発化したことがあるという。塔の高さはおよそ30メートル、底面の直径は16.5メートルで、壁の厚さは5メートルから3メートルにもなる。内部は8層に分かれており、天井には塔の一番上から1回部分までを垂直に見下ろせる丸い穴が開いている。国のシンボルとしてアゼルバイジャンの通貨にもその図柄が使用されている。
・その他
また、世界遺産の指定地区ではないものの、バクー市の郊外には18世紀にインドのゾロアスター教徒(パルシー)によって建てられた拝火教寺院がある。この地で起こる天然ガスによる自然発火現象が、火を崇拝対象とするゾロアスター教徒にとって聖地とみなされたためである。1975年よりこれらの施設は博物館になっており見学が可能である。
参考文献
塩野崎信也『〈アゼルバイジャン人〉の創出:民族意識の形成とその基層』2017年、京都大学学術出版会。