テューリンゲン地方の都市ヴァイマールは、18~19世紀にかけて、ゲーテとシラーに代表される多くの作家や作曲家、学者らが活躍し、古典主義文化が花開いたことで知られる。また、それ以前にも、マルティン・ルターがたびたび説教に訪れ、宗教画家のクラナッハや宮廷音楽家のJ.S.バッハが活躍するなど、宗教文化史の上で重要な都市と言えるだろう。
【古典主義前史】
神聖ローマ帝国時代にザクセン=ヴァイマール公国の首都として繁栄したヴァイマールには、1518年頃からルターが頻繁に訪れ、説教を行うようになった。宮廷はルターを支援し、1525年に都市として宗教改革を受け入れた。
また、ルターは、画家のルーカス・クラナッハ(父)と親交を結び、クラナッハはルターの肖像画を多数描いた。クラナッハはヴァイマールで宮廷画家として活躍し、旧約聖書の場面(アダムとイヴと知恵の木、ホロフェルネスの首を持つユディト、ライオンと戦うサムソンなど)や神話(ヴィーナス、アポロ、ダイアナなど)に題材を取った作品を数多く描いた。
1709年には、ヴィルヘルム・エルンスト大公により、J.S.バッハがオルガニストとして招聘され、9年をこの地で過ごした。バッハのオルガン音楽の半数および教会カンタータ20曲がヴァイマールで作曲された。バッハの仕事場であった宮廷礼拝堂(通称「天の城」)はその後の大火で焼失し、現存しない。
【古典主義時代の宗教遺産】
*市教会(ヘルダー教会)
ペテロ・パウロ教会として、1498~1500年にかけてゴシック様式で建設された。都市が宗教改革を受け入れた1525年にルター派の教会となり、当時はルターが説教を行っていた。「宮廷教会(Schloßkirche)」の対となる「市教会(Stadtkirche)」の名で呼ばれるようになったが、ルターを支援した大公の家族も市教会の礼拝に参加していたと言われる。
クラナッハ父子が描いた祭壇画「キリストの磔刑図」は、教会の改革を決意したルターの頭に、十字架に架けられたキリストのわき腹から血が降り注ぐという独特のもの。また、三連のルターの肖像も掲げられている。クラナッハによるルターの肖像画は、ヴァイマール城の国立美術館にも数点所蔵されている。
後に、J.S.バッハが同教会でオルガンを演奏するようになり、彼の2人の息子がこの教会で洗礼を受けた。
18世紀以降、卓越した神学者で哲学者であり、ゲーテの師匠でもあったヨハン・ゴットフリート・ヘルダーが埋葬されたことにちなみ、「ヘルダー教会」と呼ばれている。
*ゲーテの家
文豪ゲーテは1832年に没するまでの50年間をヴァイマールですごした。ゲーテは幼少期より「ファウスト博士」の伝説に関心を持っていたと言われ、24歳の時に「ファウスト断片」を著していた。ヴァイマールで若き友人のシラーに促され、これを改稿し、死の直前までかけて書き上げた大作『ファウスト』は、ゲーテの代表作とみなされるようになった。
題材となったファウスト博士は、16世紀に実在した錬金術師であるが、一般には、黒魔術を使い、悪魔(メフィストフェレス)に魂を売るという筋書きの大衆本によって知られている。ゲーテの『ファウスト』もこのストーリーを下敷きとし、神と賭けをしたメフィストがファウスト博士を誘惑し、悪の道に引きずり込む第一部と、メフィストの手引きで、ギリシャ神話の世界に時空を超えて旅をする第二部から成る。ただし、放蕩の限りを尽くしたファウストが最後に地獄に落ちる大衆本とは異なり、ゲーテの作品では、ファウストが恋に落ち、それが発端となり処刑されるに至った純朴な町娘グレートヒェンの信仰心により、ファウストの魂は救済される。
*アンナ・アマリア図書館
ザクセン・ヴァイマール・アイゼナハ大公夫人であるアンナ・アマリアの名を冠した図書館は、1691年に設立された。1797年から35年間にわたりゲーテが司書を勤め、ドイツで最も優れた図書館の1つと認められるようになった。19世紀のドイツ文学を中心とする100万冊の蔵書には、世界最大規模の『ファウスト』関連書籍のコレクションが含まれるほか、中世~初期近世の写本2,000冊、ルターが所有していた聖書など、宗教改革関連の稀覯本も所蔵している。
*大公家の墓所、歴史的墓所
大公家の墓所は1823~28年にかけて大公カール・アウグストによって建造され、1824年には市の城に納めてあった大公家一族の27の棺が移葬された。なお、大公家の墓所にはゲーテとシラーの遺体も納められている。