ソルターニーエ

ソルターニーエの町の歴史は、1290年頃にイル=ハーン朝第4代ハーンのアルグンが、牧草地や狩場として優れた同地に夏の住居の建設を決定したことから始まる。1304年に第8代ハーンの座についたオルジェイトゥは、町の規模を拡大して首都とし、都市の名前を「スルタン」を語源とするソルターニーエと定めた。その後、16~17世紀に徐々に衰退が進み始めるまで、ソルターニーエは東西交易の拠点として発展することとなる。

1302~1312年に建造されたオルジェイトゥの霊廟は町のシンボルであると同時に、中央アジア、西アジアにおけるイスラーム建築の発展に多大なる影響を与えた。インドの建築学者であるA.U.ポープは、この霊廟を「タージマハルの先駆」と描写している。

霊廟は八角形の形状で、ターコイズ・ブルーの彩色タイルで覆われた48.5mの高さのドームが突き出しており、その周囲を装飾用の8本の小型のミナレット(尖塔)が囲んでいる。イランにおける最古の二重ドームの(屋根と天井が二層に分かれている)建築物でもある。廟の二層式の回廊は建物の外側に配置されており、内部は、元は明るい黄金色のレンガとダークブルーのタイルで装飾されていたが、その後の改装で、漆喰のレリーフなどの装飾も施された。

ソルターニーエの町には、そのほかにも1330年に建設されたスルタンのチャラビ・オグリの八角形の塔を持つレンガ造りの霊廟や、オルジェイトゥの宮廷で詩人としても活躍した ムッラー(宗教指導者)のハサン・カーシの霊廟、第7代ハーンのガザンの墓などがある。

参考文献