サマルカンドは、紀元前10世紀頃からイラン系民族のオアシス都市として発展した中央アジア最古の都市。シルクロード上のほぼ中央に位置し、文明の十字路と呼ばれている。サマルカンドを訪れたアレクサンドロス大王や玄奘がその美しさを絶賛したとも語られている。
8世紀以降、アラブ人の侵攻に伴いイスラム化が進み、イスラム世界の強国であったホラズム・シャー朝の首都となった。13世紀に、チンギス=ハーン率いるモンゴル軍によって町は徹底的に破壊され、人口の4分の3が殺害されたものの、14世紀にはティムールによって再建され、ティムール朝の首都として栄華を極めることとなる。ティムールは帝国を拡大するとともに、全土から優秀な技術者や芸術家、天文学者をサマルカンドに連行し、壮麗なモスクやマドラサ(神学校)、天文台などを建設させた。これらの建築物には青色のタイルが大量に使われ、サマルカンドは「青の都」と呼ばれているが、このような技術にも戦争の際に捕虜にした帝国各地の職人の技術が活かされている。現存する文化遺産の多くがティムール朝時代に建造されたものである。
ウルグ・ベク・マドラサ
サマルカンドの中心地、レギスタン広場に立つ3つのマドラサの内、最古のもの。15世紀にティムールの孫で、天文学者であったウルグ・ベクによって建設された。ウルグ・ベクもこのマドラサで教鞭をとったと言われている。
シェルドル・マドラサ
レギスタン広場に立つマドラサで、1636年に完成した。シェルドルとは、「ライオンが描かれた」の意で、マドラサの入り口のアーチにはライオンの図柄の装飾が施されている。イスラームの教義では、人や動物の姿を描くことが偶像崇拝として禁じられているため、動物の図柄は非常に珍しいものである。
ティラカリ・マドラサ
レギスタン広場に立つマドラサで、1660年に建設された。タイルの装飾が金箔で縁取りされた壮麗な装飾を誇る。また、遠近法を用いて、平面をドーム型に見せるなど、高度な技術が用いられている。
グーリ・アミール廟
ティムールとその息子、孫が祀られた霊廟で、14世紀末より建設が開始された。内部は黄金の装飾で覆われている。グーリ・アミールとは、ペルシャ語で「王の墓」の意。
シャーヒ・ズィンダ霊廟群
シャーヒ・ズィンダとは「生ける王」の意。ムハンマドの従兄弟クサム・イブン・アッバースが、イスラム教を布教するために訪れたサマルカンドでゾロアスター教徒に襲われ、斬首されたものの、何事もなかったように首を拾い上げて深い井戸に潜り、永遠の命を得たとの伝説により、11世紀に霊廟が建造された。その後、19世紀に至るまで、ティムールの妻や妹など、親族・部下を祀った20を超える霊廟が建設された。
ビービー・ハーヌム・モスク
中央アジア最大のモスクで、かつてはイスラム世界で最大規模を誇った。一時は原型を留めないほど損傷していたが、ソ連崩壊後に復元された。