アメリカ中西部、ミシシッピ川の流れるミズーリ州セントルイス近くの、イリノイ州コリンズビルに位置する墳丘群。約1600ヘクタールの範囲に120ほど存在していたこれらの墳丘は、西暦1000年ごろから14世紀半ばまでこの地に栄えたミシシッピ文化において、宗教や政治の場として用いられていたとされている。
この地には、8世紀頃から後期ウッドランド文化に属する人々が定住をはじめ、カホキアが建設された。この都市はミシシッピ文化の中心地となり、大規模なトウモロコシ栽培によってピーク時には1万人から2万人の人口を抱えていた。
カホキアは東西南北の方位に沿って築かれており、儀礼は天体の運行と関連していたことが示唆されている。墳丘の中でも最大のものはモンクス・マウンドと呼ばれるが、これは植民地時代にフランス人トラピスト会士が上に修道院を建てたことに由来している。高さ30m、幅は250~290mであり、かつてはこの場所に神殿か支配者の建物が存在していたと推定されている。
南にある72番マウンドからは、多数の人骨が発掘された。そのうち1体は鳥の頭や羽とともに埋葬されており、支配者であったとみなされている。同時に250体以上の人骨も発見されており、その多くは生贄となった人のものであるという。
モンクス・マウンドから西に1kmほどの場所には、ウッドヘンジと呼ばれる木の柱によるサークルの跡が見つかっている。その柱の配置から、天体を観測して季節を知るために用いられていたとともに、宗教的・儀礼的な役割も有していたと考えられている。
最盛期には北米で最大の人口を有していたとされるカホキアだが、13世紀に入ると人口が減少し始め、1350年頃にはこの都市は放棄された。その17世紀には、ミシシッピ川流域に住むイリニウェク族の一部族であるカホキア族が住み着いた。この地のカホキアという名称は彼らに由来している。
・Britannica, "Cahokia Mounds" 最終アクセス2022年9月12日
UNESCOのページ