スースはチュニジア中東部に位置する地中海に面した都市である。同地はカルタゴと同様、フェニキア人によって紀元前9世紀にハドルメントゥムとして建設され発展した。カルタゴとは異なり、第三次ポエニ戦争(紀元前149-146)においてもローマと敵対せず破壊を免れ、その後は東ローマ帝国が統治するようになり、カルタゴに次ぎローマ帝国のアフリカにおける第二の都市となった。
紀元7世紀に入るとイスラム勢力がチュニジアを征服しアグラブ朝を築くが、その際にハドルメントゥムも攻撃を受け、破壊された。アグラブ朝はハドルメントゥム遺跡近くにスーサを建設し、それ以後に発展したメディナと呼ばれる旧市街が世界遺産に登録されている。
スーサはアグラブ朝の聖都カイルアンから近い港町として発展し、中世には織物業が栄えたが、19世紀にフランスの植民地となり、スースに改名された。その後フランスからの独立を果たし現在に至っている。
同地の建造物は軍事施設としての機能も備えている点が特徴的で、街は高い城壁に囲まれ、とりわけ銃眼など防衛設備をもつグランド・モスクやキリスト教会の大理石を用いて建てられたリバト(宗教的目的にも用いられる要塞)が著名である。リバトに築かれたミナレットの役目も果たす38mの監視塔からはこの城塞都市を一望できる。
要塞の一つはスース考古学博物館として用いられており、中では遺跡から出土したフェニキア人やローマ人の製作物が展示されているため、イスラム教に加えフェニキア人の宗教、ローマ宗教、キリスト教の4つの宗教文化を知ることができる。