バンコクの北64キロ程離れた場所に位置する古代都市アユタヤは、アユタヤ王朝(1351年~1767年)の首都として400年以上にわたって栄えた。アユタヤ王朝の歴代の王たちは上座部仏教を篤く信仰し、この地には実に400もの寺院が建設された。
多くの寺院にはストゥーパ(仏塔)がみられる。これらは14世紀半ばから15世紀半ばにアユタヤ王朝がスコータイ王朝を併合したことに伴い、スコータイ王朝が採用していたスリランカのストゥーパの様式を取り入れて建造された。通常ストゥーパには仏舎利が納められるが、アユタヤのワット・プラシーサンペット(「ワット」は「寺」の意)のストゥーパには代々の国王やその親族の遺骨が納められている。仏教寺院を象徴しながらも、王朝の重要人物の墳墓としても機能していたという点は、当時の仏教の役割を考える上でも興味深い。
アユタヤ王朝はインドシナ半島の中部にまで勢力を伸ばしたため、その建築様式にはスコータイ王朝の影響のみならず、ヒンドゥー教の影響を受けたクメール文化の影響もみられる。中心部の西にあるワット・チャイワッタナラームは、「アユタヤのアンコールワット」とも呼ばれる。
1767年、ビルマ軍によってアユタヤ王朝は滅ぼされ、アユタヤの宮殿や寺院も徹底的な破壊を被った。寺院遺跡内に首がとれた仏像などが多くみられるのはこのためである。現在では修復も進み、タイでも有数の観光地となっている。
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