光は真空中を進みます。光が進むときには水面の波や音波のように媒体が必要だと考えられてしました。そこで,その媒体のことを「エーテル」とよばれていました。もし,エーテルが存在すると,地球は,自転と公転をしているために,絶対空間のエーテルに対して相対運動をすることになります。そうすると,光の進む速さはエーテルと地球の相対速度によってちがうはずです。しかし,アインシュタインは,エーテルは存在せず,互いに一定の速度の差で動いている基準から見た場合,光の速さは同じであると仮定して特殊相対論を提示しました。不思議な気がしますが,互いに一定速度の差で動いているところからみると,光の速さは代わりませんが,時間の進み方や長さが変化するのです。
この特殊相対論の根拠になったのはマイケルソン(Albert Abraham Michelson, 1852~1931)がモーリー(Edward Williams Morley, 1838~1923)と共同で行なったマイケルソン・モーリーの実験です。マイケルソンは,もともとアナポリスの海軍兵学校を出た海軍士官でした。入学にあたっては,グラント大統領に直訴して推薦をもらい直訴したそうです。アメリカでは,軍の士官学校に入るためには,国会議員の推薦が必要です。大統領に直訴したのは,推薦を頼める国会議員がいなかったからです。しかし,海軍士官として2年半勤めた後母校の教官をしながら光の速さの測定を続けます。その後,大学に移りマイケルソンの干渉計を発明し,光の速さが光の進む向きによらないという有名なマイケルソン・モーリーの実験をモーリー行い,アインシュタインの特殊相対論の基礎となった光速不変の原理を示しました。その後,1907年にはアメリカ人として初めてノーベル物理学賞を受賞しています。