産業革命以前は第一次産業中心だったのが,次第に第二次産業に,さらに第三次産業中心に移行してきました。このことは「ペティー・クラークの法則」とよはれ17世紀にイギリスの医師、測量家、経済学者であるサー・ウィリアム・ペティ(Sir William Petty; 1623年~1687年)の「政治算術」の中の記述をもとにイギリス出身の経済学者コーリン・グラント・クラーク(Colin Grant Clark; 1905年~1989年)が1941年に「ペティーの法則」現在「コーリン・クラークの産業分類」とともに発表したものです。産業分類についてはご承知と思いますが,
第一次産業: 「農業」「林業」「水産業」などの狩猟採集を中心としたもの。
第二次産業: 「製造業」「建設業」などの工業生産、加工業。
第三次産業: 「情報通信業」「金融業」「運輸業」「販売業」などの対人サービス業,非物質的な生産業、配分業。
をいいます。現在の日本では,総務省が「日本産業分類」を制定しています。産業構造の変化に対応してしばしば改訂されています。詳しくは総務省のホームページを御覧ください。
最近では,第三次産業の中で,情報産業,医療産業,教育サービス産業などの知識集約な産業を第四次産業いうこともあります。さらに,一般的ではないかもしれませんが第三次産業から第五次産業に分けている意見もあるようです(反町勝夫,「第5次産業が日本再生の切り札」法律文化2003年8月)。この意見では,第三次産業はものの移動保管,第四次産業は情報を商品とするもの,第五次産業は創造情報を扱うものとしています。また,最近農業や水産業などの第一次産業が食品加工・流通販売にも業務展開している経営形態を第六次産業とよぶこともあります。ここで,第六次というのは,第一次,第二次,第三次の1と 2と3を足したものが6であることによるものです(農林水産政策研究所「6次産業化の論理と展開方向 ―バリューチェーンの構築とイノベーションの促進」(2015))。
さて,産業革命が起こって羊毛を原料とする繊維産業がさかんになると,イギリスの大規模な地主は農民を追いやって,農地を放牧地にしたそうです。農地を追われた人たちが工場労働者となりましたが,当初の労働環境,待遇はとてもひどいものだったそうです。それを改善するために労働組合ができたり,政治的にも配したりして労働環境が変わってきました。そのような制度,施策による効果と同時に,第二次産業の発展もあって工場労働者の待遇はどんどんよくなってきました。その結果,多くの人たちが経済的によりよい生活をできるようになってきました。日本でも,戦後の製造業の発展にともなって,農業から第二次産業に転じる人が多くなるとともに,経済的にも安定してきました。
しかし,日本では経済を第二次産業の発展に頼ることができる期間は限られたものでした。それが,明らかになってきたのは,1990年のいわゆる「ベルリンの壁の崩壊」以降です。実は,その前に社会変化の兆候があったのではないかと思います。「ベルリンの壁の崩壊」というのは,いわゆる「東西冷戦」の終結です。20世紀は第一次世界大戦,第二次世界大戦のあと東西の対立とともに,東西対決の朝鮮戦争,ベトナム戦争があり,その後も米ソで宇宙競争,軍拡競争などによって,ある意味で戦争が牽引して生産を増やしてきたのです。特に戦後日本は,自らは戦争に参加することなく,冷戦を含む広い意味での戦争による経済の恩恵をものすごく受けてきたのです。それが,なくなったのは,1990年以降のことです。奇しくも,この時期は日本が昭和から平成になった時期に一致しています。平成の文字が示す通り,経済生長が平になったのです。証券会社の倒産などもありましたが,経済の変化を象徴するできごとが「リーンショック」だったかと思います。これから変わってくると思いますが,アメリカでいわゆる「マネーゲーム」で儲けた金持ちが貧富の差を増大します。
よく言われるのは,それまで貧富の差が極端に広がらず,労働者の収入が増えてきたのは,社会主義化を恐れて様々な施策をしてきたからという説があります。しかし,果たしてそうでしょうか。私は,もっと構造的なことがあったのではないかと思います。確かに従業員の待遇をあげていったのは,そのような面もあったかもしれません。しかし,「ない袖は振れない」という言葉があるように,給料を支払うだけの収益がなければ充分な給料を支払うことはできません。充分な給料を払えたとしても,はたらき先が充分なければ多くの人が良い生活はできません。
経済が発展して,それが多くの民衆に恩恵を及ぼしたのは,多くの人手が必要な第二次産業が発展してきたからではないでしょうか。日本では戦後すぐは,ものが絶対的に少なかったのです。そのため,ものを作れば売れるという時期がありました。その後,朝鮮戦争をきっかけに「戦争特需」で高度生長が始まります。その後,ベトナム戦争が起こるとともに,欧米との経済格差,賃金格差のおかげで,輸出でも受けることができます。もちろんそのためのアメリカなどの反発などによる貿易摩擦もありましたが,賃金格差のある間は経済的恩恵を受けています。しかし,賃金格差は次第に埋められてきます。その間日本は工業製品の品質向上に努めてきて,工業での優位に立ちます。1960年頃はMade in Japanというと値段は安いけれど粗悪品の象徴と思われてきましたが,1970年代から高品質に転じてきます。私が4~5歳の時に日本のファスナーと違って,アメリカのファスナーはしっかりしていて,壊れにくいと父が言っていたのを記憶しています。それが,私が20代の頃(1980年頃)には,世界中で日本のメーカーのファスナーを使うようになりました。
私が30代の頃(1980年後半)には半導体は「産業の米」といわれ日本経済を牽引した時期もありました。しかし,次第に新興国に追い上げられてきます。これらの経済発展を推進したのは,最初は「物資の絶対的不足による需要」,次には「経済格差」,さらに「技術格差」を利用しているのです。
現在「格差」という言葉は無条件に悪だという文脈で語られることが多いようです。その一方で,格差があることによって,経済発展などがあったことも事実です。熱機関が動くためには温度差が必要なように,経済格差があり,それを埋める過程で経済発展が進んできたということも事実です。格差を埋める過程では,経済が発展し多くの人が幸せに感じるでしょう。それは,格差を埋める過程で経済がより良くなる方向で動くからです。より良くなるというのは,この場合経済的な面でより豊かになるということです。例えば,ものが無い国にものを売ろうとすると生産が増えてきます。そのために,はたらくための仕事は増えていきます。しかし,そのうちだんだん売れなくなってきます。そうすると,今まで貧しかった国の人たちの安い人件費で生産しようとするので,生産が海外にシフトしていきます。日本もそのような意味での経済格差で生長してきました。しかし,日本の経済が発展していくと,日本の人件費が高くなり,海外に移動していきます。日本から中国へと移動し,中国の人件費が高くなって行くとさらに東南アジアに移動するというような形で生産拠点が移動していきます。やがて,それらの国も発展するでしょう。そうすると,経済格差による経済牽引の力が働かなくなってしまうのです。
経済発展を続けているときには,先に述べたようにだれでも幸せに感じます。国の政策に対しても,色々な立場の人が寛大です。ですから,多数決でものが決めやすかったのです。最近イギリスのEU離脱の国民投票の問題,タイやトルコの軍事クーデター,アメリカ大統領選でのトランプ旋風なども民主主義の不具合が出てきたように見えますが,これまで幸い経済的に発展してきましたか,それが破綻すると戦争が起きるという事態でなんとか切り抜けてきたというのが,実態ではないでしょうか。戦争が起きると国民の意志が一致するだけではなく,大量消費によって経済が回る効果もあるからです。しかし,現在はあまりにも資源の利用,生産の世界分散による経済的相互依存のおかげで従来の意味(戦時国際法の定めるように意味での)国家間の戦争はきわめて起きにくくなっています。戦争というのは,国際法に基づいた概念によるものです。国際法は17世紀に30年間続いたカトリックとプロテスタントの戦争を終わらせるために締結されたウェストアーレン条約(1649年)に基づいています。戦争が起こった場合,どちらかの国と貿易をしただけで,そちら側の国とみなされています。したがって,国際貿易の依存度が大きい現在,国際法的な意味での戦争ができにくくなっています。代わりに,テロや国家以外の国との武力衝突(専門用語で非対称戦)が起きるようになってきています。戦争はもちろんいいことではありません。ただし,国と国との利害の衝突からこれまで起こってきました。これからの時代,善悪の判断ではなく,経済的なしくみなどで武力衝突が起きないようにしていくことが肝心ではないかと思っています。
今は,日本では特殊な部品や装置産業などは残っていますが,多くの労働力を吸収できるほどではありません。米国ももっと深刻な状況になってくるでしょう。それにともない,先進国では製造業から第三次産業に労働人口の移動がおこってきました。
これでみんなが幸せになれるかというと,そうとはかぎりません。資源や製品の生産が少ない状態で,消費者がお金を回しあっているだけでは経済状態が充分よくならないからです。熱力学でエネルギーの無駄があるように,どこからか供給していかなければ経済が発展しないからです。同時に,そうなるとものが安くならないと売れなくなります。これによって,デフレが起きるのです。保育や介護に関わる人材が必要とされるのに,それらの仕事に従事したがる人が少ない状態です。その原因の一つは仕事のきつさに比べて報酬が低いことです。一方,そのサービスの恩恵を受ける人はそれを充分負担できるほど経済的に余裕があるわけではありません。もし,待遇を上げるのでしたらどこからから資金を補給しなければいけません。それが税金であるにしても,だれが負担するのか。広く浅く負担してそれでまかなえるのか。さらに,福祉関係の仕事は肉体的にきついだけではなく,精神的にきついことや,人の嫌がる仕事がたくさんあります。それをどのように支えていくのか,それらを考えないといけないでしょう。
大きな経済発展が起きている時は,ほとんどの人にとって希望が持てます。その中で,社会政策も経済的な余裕を背景に発展させることも可能でしょう。しかし,経済的に「飽和」した世の中になったらどのようにするのか,新たな知恵が必要になってくるでしょう。その一つの解として,「シェアリング社会」と「社会政策のトリアージ」が考えられると思っています。「シェアリング社会」とは聞き慣れない概念だと思いますが,要するに複数の仕事,仕事とプライベートを個人内,個人買いでわけあったり,資産や設備などを分け合ったりすることによって限られた経済状況の中で世の中をまわすということです(コラム167)。社会政策のトリアージというのは,まんべんなく福祉政策などの政策などを行うではなく,限られた資源の中で必要度に応じて有効な施策をしていくことです。この中には,「シェアリングシステム」を用いた人材の有効活用も含まれます。政策のトリアージには,多数決にかわって,だれでも直感的にもわかりやすく,納得し易い指標を導入する必要があるのではないでしょうか。
有名なフローレンス・ナイチンゲール(Florence Nightingale; 1820~1910)はクリミア戦争に志願して従軍し,傷病兵の看護にあたったことで有名です。彼女のそれよりも,大きな功績は,戦争による死者は傷そのものよりも,その後の感染症によるものが多く,衛生の改善が必要であることを統計データに基づく示し,「鳥のとさか」とよばれる独自の円グラフを工夫してイギリス議会を説得したことです。このような,統計的な事実証拠を独自に工夫した視覚的な表現で社会を動かしたことが大きな功績なのです。このような統計データなどをわかりやすく示すことによって,合意形成する指標を工夫することも必要でしょう。
多数決による民主主義は,経済成長時には良い方法かもしれませんが,それには限界があるのではないかと思います。社会主義は生活レベルの底上げはできるかもしれませんが,本当の意味での人間の幸せにつながるかというと疑問です。実際には,社会主義国で餓死や処刑による死者が多かったという事実もありますので,底上げという面でも怪しいものかもしれません。ある意味で,社会主義は「パターナリズム」ということができます。パターナリズムというのは,父親が子どもに対して,良かれと思ってやるように,能力がある人人々のために何かをするということです。ある意味で独善的になりやすく,指導者によっては独善が独裁になり,さらには本来の理念に反して民衆を抑圧したり,反対者を弾圧したりするといことになりかねない問題があります。スターリン,毛沢東,ポルポトなどの例を考えればよくわかるでしょう。
一方,民主主義は,「リベラルアーツ」(自由になるための学問)という言葉が象徴するように,基本的には「知的に強い人が勝つ制度」ではないかと思います。但し,経済生長過程にあっては,多くの人がおこぼれに預かるので,不満が出にくいだけではないのではないかと思います。ある意味で,これからは多数決ではなく,必要度の高いところ,緊急度の高いところ,深刻度の大きいところからから社会問題を解決でき,多くの人びとが「(精神的な意味で)幸せになれる」社会を目指せないでしょうか。そのためには,ナイチンゲールが統計データを独自のグラフで表して議会を説得したように,納得できる提示の仕方を考案する必要があるのではないかと思っています。今,どのような方法があるかわかりませんが,今後このことについて考え続けていきたいと思っています。ただ,できるだけすべての人が幸せになるという意味で,「民主主義」かせ「民本主義」に進化・転回する必要があるものと思っています。ここでいう民本主義というのは,大正時代に吉野作造がDemocracyの訳語として用いたとされるものではなく,すべての人々の幸せにつなげる政治形態のことだと思っています。
産業構造の違いによって,仕事に求められる能力が違ってきました。21世紀に入って15年間で減少してきた職種の第一位は「農業」,第二位は「会計」,第三位は「法人・団体の管理的職種」だそうです(許斐健太『この15年で「増えた仕事」「減った仕事」は何か』東洋経済オンライン, 2015年9月4日)。法人・団体の管理的職種というのは,民間企業,役所などを含めて社長以下の経営者や課長以上の管理職をいいます。このことから,少なくとも2つのことが言えると思います。
一つは,会計職種は自動化や外注(アウトソーシング化)が進んだことによるものと思います。昔はそろばんで簿記をやっていたのが,電卓を使うようになり,さらに会計ソフトの導入で人間の作業の手間が減ってきたのです。最近では,海外を含めて外注する企業も増えています。
一方,「管理的職種」が減ったのは文字通り管理職が減ったとの考えもできますが,決定権がさらに下の職位に移ってきた可能性もあるかと思います。いずれにしても,与えられたことや習ったことを正確にできることよりも,ある程度判断力が必要とする仕事が増えてきたのではないでしょうか。
製造業の従事者が減って,人を相手にする第三次産業の従事者が増えてくると,判断力や対人力の必要性が増えてくるでしょう。
知り合いの工業系大学の教授が「最近は,これまで高卒の人をとっていた職種での採用試験で落とされてくる」と言っているのを技術者教育関係の学会の会合で耳にしました。よく聞くと,鉄鋼などの装置産業の運転員の仕事のようです。そのような職種は,昔は工業高校で成績が優秀な人たちを採用していました。運転員は,非常時の対処するためにプラントの仕組みを全て知っていなければなりません。さらに,運転管理するために様々な資格試験を受ける必要があります。まさに,学校で「成績優秀」で,きちんとこなすことができるような人の能力がもとめられ仕事なのです。一方,大学教育はむしろ,研究や開発など先が見えない仕事をするための能力を意識した教育を行っているのです。そのため,もともと,求められる能力が違うのだと思います。正確に物事をこなすこともある程度大切ですが,失敗を恐れずにチャレンジする気持ちなどリスクをすることができる姿勢も大切です。
ともかく,工場労働にしろ,事務作業にしろ単純労働は減ってきているのです。自動化によって,機械やコンピュータが処理するようになってきたからです。正確さや処理速度,むらのなさでは機械にかないません。そのような作業人がすることは少なくなってきたのです。一方,第三次産業が中心になると多かれ,すくなかれ「思考力,判断力,表現力を含む対人力」の必要性が高くなってきます。
現在50%の人が大学に進学しています。さらに,専門学校を含めると8割程度が高等教育を受けている時代です。その中で,教育内容ももっと根本的に変える必要があるように思います。かなり多くの割合の生徒が未消化なまま卒業しているのが実情ではないでしょうか。2021年から予定している「大学入学希望者学力評価テスト(仮)」(本稿は2018年頃執筆)では「思考力・判断力・表現力」を求める問題を出すようするとのことです。これの本当の狙いは,高校教育を変えることだという話を聞いたことがあります。ただし,だれもが同じ能力をつける必要はないはずです。同じようにできなくても,その能力が大切であることを知ることが大切だと思います。その意味でも学校での評価を変えていこことも必要でしょう。体力がない人,運動能力が充分でない人に学校で無理に人と同じ成果を要求しないでしょう。音痴の人が歌をうまく歌えないからといって,不真面目だと叱る先生はいないでしょう。でも,学習のことについては,できないことがあると不真面目とか努力が足りないといって,責める先生がいるように思います。理解力,処理パターンは人それぞれです。それぞれの特性をある程度配慮した教育が必要ではないでしょうか。いずれにしても,「民本主義」を実現するには,個人の能力差を認めた上で精神的な満足度をいかに高めるかといった観点で様々な立場の人を活性化していくことではないかと思っています。