大学の授業で「想定読者」を意識した説明文を書かせています。「想定読者」というのは,文字どおり読んでほしいと思う想像上の読み手のことです。特に初歩的な「想定読者」を意識して書くことは,自分自身の理解だけではなく,他人のことを配慮するようになることが期待されます。実際,学生に授業で想定読者を意識した説明を書かせる授業をしたあと,受講前後の変容を書かせるとそのような効果について自身も気づいていることを多くの学生が書きます。もちろん説明能力を伸ばすことにもつながるはずです。このことは,教員免許状更新講習のスライド3-40で「教えあそび」ということで説明しています。ここでは,どういうきっかけで想定読者を考えるうになったかを述べることにします。
もともとのルーツは小学校の時にあります。小学校の低学年の時に,母親に「悟りがわるいんだから!一を聞いて十を知るようにならないと!」と言われたことがあります。後で思うとその時,母親が私に過剰な期待をしていたというよりも,自分自身から見て理解力があまりにも悪いから言ったようです。その証拠に,生長とともにそのようなことを言わなくなりました。むしろ,宿題をしない私に無理にしろとは言わなくなりました。その時,自分は「それじゃ,物分りよくなろう」とは思わなかったのです。「自分は悟りが悪いどうしようもなくダメな人間だ」と思いました。そこで,「自分はものわかりがどうしようもなく悪いダメな人間なので,人のいうことがわからない。だから,徹底的に人のいうことも自分で分かるように言い直さないとわからない」と思ったことを記憶しています。だから,何か説明を読んだり,人の説明を聞いたりしたら,とびきり物分りの悪い自分に言い直す気持ちで説明を考えることが癖になりました。別の項で書きますが(コラム4)中等学校では,授業についていけずに高校2年の11月頃に受験勉強をはじめました。その時も,自分で自分学んだことをものわかりの悪い自分に言い聞かせるような気持ちで説明を考えることを無意識にしていました。ただ,この時点では意識的・体系的にはしていませんでした。
物分りの悪い自分に対して説明したり,自分なりの言葉で言い直したりするのを再び意識するようになったのは,大学生になってからです。大学に入って最初の頃は授業についていけませんでした。教科書を読んでも意味がわかりません。活字を追っても意味がわからず,全く頭に入らなかったのです。講義を聞いてもついていけませんでした。何かを理解しようと思って考えだすと,先生の声が全く聞こえなくなってしまうのです。
そこで,自分で自分なりの方法で勉強することにしました。教科書を見ても文章が読めないので,自分で数式を頼りにしながら教科書や参考書を読みながら,自分で自分に講義するようなつもりで説明を考えていったのです。そうしたら,急に理解が進むようになりました。そこで,同級生や後輩に教えてみました。後輩に説明するときには,相手の理解レベルを考えながら,同じ内容を易しい言葉や初歩的な数学を用いて説明するようにしました。家庭教師で教えている高校生に説明したこともありました。このような「教える」という能動的な行為によって,はじめて理解することができるようになったのです。同時に学ぶことが面白くなってきたのです。これが私なりの「アクティブラーニング」のルーツです。「主体的・対話的で深い学び」という観点からいうと,自分自身の対話が中心でした。人の教えることはありましたが,教えてもらうというよりも,相手が理解できないので言い直す過程で理解が深まるといった形です。
このような学習をしているうちに大学で講義をしてみたくなりました。そこで,大学の教員になりたくて,大学院に行きました。しかし,博士課程を修了しても大学に職は得られませんでした。正確にいうと,無職になることを覚悟で大学に職を探すということをしなかっただけです。代わりに,教えるのが好きなので,高校教員になろうと思いました。しかし,その時,待てよと思いました。私立高校を出ているために,様々な経歴でいる先生がいることをしっていました。そこで,40歳位まで会社勤めをして社会勉強してから,私立高校に職を得ようと思いました。
そこで,化学会社に就職したのです。しかし,2年で就職した会社から関連会社に出向することになりました。この時,製品に関して,くわしいことを教えてくれる人も教科書もありませんでした,そこで自分で少しずつ得たことを文章で書くようになりました。仕事で実験したことや客先から仕入れた情報をこまめに報告書に書くようにしました。そのような作業を通じて,学んでいったのです。学ぶと同時に,書くことによって仕事で何をやったかを整理していったのです。書くことによって,次に何をやったらよいか頭の中を整理することができます。さらに,記録することによって,やったことを安心して忘れることができます。私自身細かい知識を覚えるのが苦手でしたし,文章を読んで理解するのも苦手でした。そこで,説明文を書いたり,人に説明したりすることによって理解していったのです。同時に覚えていなければいけないという脅迫観念から開放されたのです。つまり,短期の記憶が苦手なので上司などに言われたことも,なかなか記憶できなかったのです。多くのことを言われてもすぐ忘れてしまいます。そのようなことを補う道具が書くことだったのです。
私にとって,受け身な学習が苦手な反面,説明することが一番楽で楽しい学び方なのです。勤務していた会社で,退職前には高卒の新入社員を想定読者にした本も出版しました。原稿を書くにあたっても,実際高校卒業後数年の人に読んでもらいました。また,東京に転勤して,営業の人と机を並べるようになってから,製品のことについても教えてもらいました。
以上のような体験を通じて,読者を意識して書くことの重要性を痛感しました。それを大学教員になってから,学生に実践するようにしたのが,「想定読者」を意識した執筆なのです。
関連サイト: 「第3回 主体的・対話的で深い学びとは」