学生は,理想気体の状態方程式を良く覚えています。私は物理工学科の2年生対象の熱力学の授業を担当しています。以前授業の最初にどの程度の予備知識があるかをテストしていました。もちろん,成績には関係ありません。この試験の結果から分かることは,学生は式を良く覚えているのに,「言葉の定義や概念については余り理解していない」ということです。大学の入学試験では,余り概念を知らなくても,基本的な式を覚えていれば数式を計算するだけで,多くの問題は解けてしまうからでしょう。逆に何でもかんでも考えようとする人もいます。どちらも,物理を学んで行くうちに,躓くことになります。私自身は,小学校時代に理屈が分からずに覚えることは悪いことだと強く思い込むようになりました(かなり強い刷り込みでした)。そのため,何でも考えて説明できなければいけないと考えていました。それが,学習上の障害になったことが多々ありました。大学で授業をするようになってはじめて,論理構造を考えて覚えることと,考えることをはっきり識別することが重要だということがわかりました。
私は授業の最初に,「何で物理工学科を選んだのか,そこで学んだものを将来どのように活かそうと思っているのか」ということをレポートで書かせています。その中で,「高校の物理の先生は公式を覚えて問題を解けばよいという教え方をしていたが,別の先生に教わるようになったら考える楽しみを教えてくれた」ということを書いている学生が毎年必ずいます。別の先生というのは,学校の先生の場合もありますし,塾や予備校の先生の場合もあります。私自身も同様の経験をしました。本来,物理を学ぶ時に何を覚えるべきか,何を考えるべきかをきっちりと区別しておく必要があるのです。まず,物理を学ぶ時にしっかりと覚えていかなければならないのは,法則と定義です。最初に述べたように「法則」というのは論理的に導くことはできません。そのため,まずこれを受け入れて良く頭に入れておく必要があります。法則の中には,基本法則と経験法則(実験法則)があります。基本法則には熱力学の第一法則,熱力学第二法則やニュートンの三法則などがあります。電磁気学で使われるマクスウェルの方程式や量子力学でのシュレディンガーの方程式なども基本法則です。但し,電磁気学や量子力学の学習ではある程度歴史的な経緯を踏まえ,それらの式が導入された過程を説明しています。そのため,学習過程で少し混乱することもあるかと思います。電磁気を最後まで習った後はマクスウェルの方程式をもとに,論理的に結果を導いていけば良いのです。理想気体の状態方程式は,少なくとも古典熱力学を学ぶ限りは経験法則として扱います。ですから,理想気体の状態方程式についても,「どうしてそれが成り立つのか?」と考えず,とりあえず認めてほしいのです。そういう意味で,覚えてもらって良いのです。もっとも,統計力学を学べば理想気体の状態方程式を導くことができます。
もう一つ覚えてほしいのは定義です。定義はきちんと覚えておくことです。例えば,運動量,運動エネルギーなどそうです。熱力学では,熱容量の定義なども覚えておくべきものです。覚えるのが苦手ならば,無理に覚えようとしないで,調べながら問題を解いていけばいいのです。何度もやっているとそのうちに頭に残ります。何事もそうですが,頭で覚えることよりも,「作業しながら身につけていく」という姿勢が大切ではないでしょうか。考えるのが好きで,覚えるのが苦手な人は,とすべて覚えてから問題を解こうとすると挫折するのではないでしょうか。その時は,基本的事項は,何度でも教科書を見ればいいのです。これを何十回か何百回もやっていたら,記憶力が悪い人でも覚えることができるでしょう。一方,解き方は極力覚えないようにすることが大切です。覚えずに,問題を解くたびに基本に帰って考えることが大切です。言葉を変えていうと,「慣れないように練習問題を解く」のです。そうすると,これまで見たこともない問題も比較的容易に解くことができるようになるのでないでしょうか。慣れないように問題を解くことは,受験勉強でかなり意識していました。この習慣が,社会人になってからクレーム処理など非定常業務をする時にとても役に立ちました。
覚えておくものを覚えたら,あとは論理的に考えながら結果を導くようにします。私が熱力学の授業で強調しているのは,定義,法則に基づき,あとは論理的に結果を導くことです。その際,論理の流れを省略せずにキチンと示すように,式と式の間の変形を言葉できちんと書かせることです。興味ある方は,レポートの書き方を書いたノートが私のホームページにありますので,ご覧下さい。多くの学生は最初,式を並べただけの答案を書きます。それが,レポートやテスト形式の演習を繰り返し,解答例とともに添削したものを返却することによって,だんだん丁寧に書くようになってきます。言葉で書くことによって,頭の中で曖昧さを無くします。このようなことにより,論理的に考える訓練をしていきます。論理的に考えることを通じて,論理的に説明できるものと説明できないものがあるということを知ることが大切です。このような,訓練が社会に出て仕事をしていく上で,大変役立ちます(少なくとも私は会社勤めをしていた時にものすごく役立ったと感じています)。このことを企業に勤めている時に実感しました。
さらに,文章を書くときには「想定読者」をイメージするように強く勧めています。自分よりも,経験も予備知識が少なく,理解力も低い人を想定して語りかけるように書くようにさせます。抽象的な人を思い浮かべるのが難しいようでしたら,具体的に誰かを思い浮かべて,その人に語りかけるようにイメージしながら書くのです。そのことによって,様々な立場,経歴の人に説明する能力がつくものと思っています。さらに,いろいろな立場の人を想像し,人に配慮する習慣をつけるための手助けにもなると思います。これも,社会人になってから大変役に立つ能力を育成することにつながります。語りかける相手は「もう一人の物分かりの悪い自分」にしてもよいと思います。
最近,「アクティブラーニング(主体的・対話的で深い学び)」の必要性が言われていますが,まずにこのように聞き手の立場を考えて,初心者で理解力の悪い人を想定しながら学んだことを説明していくことが,第一歩ではないかと思っています。