櫓時計は,大名時計ともよばれ江戸時代に使われた時計です。この時計は,現在の時計に比へて複雑でした。現在とは時間の数え方が違っていたからです。日の出約30分前を「明け六つ」,日没およそ30分後を「暮れ六つ」として,昼夜それぞれ6当分して,一刻(いっとき)としていました。それに合わせて,昼夜で時計の進みが切り替わるようになっていたのです。一般庶民向けには,時の鐘があり,鐘の鳴る回数で知らせていました。
日本で不定時法が使われるようになったのは,室町時代からだといわれています。それ以前には,定時法が使われていました。それでは,どうやって時刻を測ったのでしょうか。「漏刻(ろうこく)」とよばれる水時計を使っていたのです。最初の漏刻が設置されたのは,天智天皇の10年(671年)であるということが日本書紀に書かれています。律令制では,陰陽寮(おんみょうりょう)とよばれる役所の中に漏刻(ろうこく)博士(はかせ)という役人がいて,漏刻を管理していました。時刻を知らせるために,陰陽寮内の鐘を鳴らしていたそうです。
江戸時代には,時計(タイマー)として,線香も用いられていました。坐禅する時間の計測にも用いられます。遊郭や岡場所では遊びの時間を測るのにも使われました。