この表題の言葉をある塾のテレビコマーシャルで放送していたことがあります。化学系で博士号をとったばかりの人に「数式にも順番があるという人がいるのですよね」と不思議そうに言われたことがあります。数式は計算手段ではなく,言葉だと言ったらびっくりしていました。まして,学部の学生にとって,数式は言葉だという意識がない人の方がほとんどのようです。簡単な言葉を書くだけで式を並べただけでは,私にとって理解するのが非常に難しいものです。そこで,学生に対して式の変形や何でその式を用いるかを,論理の飛びなく書かせるようにしています。文脈のしっかりした文章で書くとほとんどの学生は理解するようになります。ところが,中には筋道だって説明することができない人がいます。証明すべき式から出発して,その式に戻ってくる。それで証明できたというのです。それぞれの式の変形は正しくても,論理の文脈がおかしいのです。学生の中には高校時代から先生に式に言葉を書くように言われてきたという人もいます。途中から先生が変わって,そのようなことを言われるようになったという人は,それから急に物理がわかるようになったといいます。数学の問題でも,言葉を書くようにするともっとよく分かるのではないかと思っています。小学校の算数の文章題も言葉で答案を書かせるようになると,もっと出来るようになるのではないかと思います。同時に,算数が苦手だと思う先生が減るのではないかと思います。児童に対する効果よりも,算数が苦手な先生方に対する効果の方が大きいかもしれません。
論理的思考ということがよく言われます。論理的思考よりも,「論理的説明」が大切だと思います。式の説明に論理の飛びがあると私は「迷子」になったような気がします。そこで,学生には論理の飛びなく答案を書かせるようにしています。その際,自分はよく考えて良くて,読者にはあまり考えずに理解できるように書くように言っています。ある哲学入門書を読んでいたら,「『論理的』とは考えないこと」だと書いてありました。私はいつも学生に「答案やレポートを書く時には,自分はよく考えて,読み手は余り考えなくてもわかるように書くように」と言っていました。そのため,「論理的とは考えないこと」という言葉にはすごく共感しました。
私は論理的思考ばかりが大切ではないと思っています。「非論理的思考」も大切だと思っています。世間では,私の考える「非論理的思考」のことを発想とよんでいるようです。非論理的思考をした場合も,それを他人に説明する場合には,だれもが「納得する」ように発想の前提を明らかに説明することが大切だと思います。その前提を認めたあとは,論理的に説明することが必要です。自然科学系の研究をする時には,必ずしも,論理的に考えていません。むしろ,直感,思いつき,勘違い,他人の異見,他人の行動,自分や他人の失敗など様々なことを組み合わせて考えます。それを人にわかるようにまとめていく過程で,論理的な説明になっていくのです。このように「論理思考」よりも,説明を考えてまとめていく過程で,読者が納得するように論理的にまとめていくことが大切ではないかと思っています。私は,思考力が不十分なために論理の飛びがある考えは,「非論理的思考」ではなく「思考の迷子」とよぶことにしています。
もう一つ大切なのは,想定読者を考えた説明をすることです。このとき,「自分よりも知識も経験も理解力も少ない人に説明」することが大切です。そのためには,何が本質なのかを十分理解する必要があります。そこで,そのような説明を考えることは「自己学習法」として確実で,効率的な方法だと思います。実際に想定読者に相当する人に話してみることが有効です。それができない場合は,もう一人の物分りの悪く,意地の悪い自分に対して頭のなかで説明しながら学ぶとよいでしょう。これが「アクティブラーニング」の一番の肝だと思っています。学校の先生は日常の仕事を通じてそのような学習する上で,非常に恵まれた環境にあるのではないかと思いますが,いかがでしょうか。