戦国武将の中での天下人である織田信長,徳川家康はともに時代を変えた革命児だといえます。織田信長は,中世の悪い制度をうまく取り払って,次の時代に伝えたものです。その大きな功績は3つありました。
一つは関所を取り払ったことです。二つ目は楽市楽座で自由に商売をすることを許したことです。室町時代には権力者が勝手に関所を受け,通行料をとって金を設けていました。これでは,産業は発展しませんね。「楽市楽座」は同業組合である「座」に支配されることなく,誰でも自由に商売をすることができて,制度です。ともに,経済発展のために大切なことでした。三つ目は宗教的な圧力を取り払ったということです。西洋でも,中世には宗教界が世俗の権力に影響力があることが大きな問題でした。日本の場合は,僧兵や一向一揆などの形で武力をともなった圧力団体がありました。それらをそれぞれの状況に応じた形で抑えたのです。比叡山の焼き討ちや一向一揆との戦いなどは歴史の教科書にも書かれていますのでよく知られています。これらは,武力を使っていますが,宗教弾圧ではありませんでした。その後,教団の解体や宗教活動を妨げることはせず,教団を存続させています。その他に,ディベートで抑えたのが「安土の宗論」というものでした。これは,法華宗(日蓮宗)の僧侶たちがやたらに議論をふっかけていて困っていたので,浄土宗の僧と公式の場で討論させ,浄土宗の僧が法華宗の僧とディベートして勝利したというものです。織田信長は短気なように思われていますが,相手に応じて一気に片付けたり,長期戦をやったりして相手をおさえています。織田信長は世の中の全体が見える天才肌だったと思います。先が見えないほとんどの人にとって部下になった人は大変だったと思います。
徳川家康は,それを受けて安定した世の中を作っています。260年以上も安定した幕府をつくっただけではなく,土木工事を含めて江戸の都市開発,政治制度を作っていく基礎をつくります。しかし,家康の特に優れたところは,没後も多くの人たちが社会システムの整備をつくる礎をつくったことです。なぜそのようなことができる人材が生まれたのか。その辺に興味がありますが,その原因をうまく説明している説を知りません。おそらく,その辺の考え方やシステムが今後の社会を作っていくヒントになるのではないかと思っています。