料理と理科,漢字を入れ替えるとなんだか似ていると思うのは私だけでしょうか。料理は子どもの頃からとても興味がありました。火を加えるだけで,色々な変化があるからです。小学生の頃化学者になりたいと思っていた私にとって,料理というのは化学変化の宝庫のように感じていました。玉子を焼くことによるたんばく質の編成,デンプンの変性など興味深い現象がいっぱいあります。
例えば,加熱すると柔らかくおいしくなる。これ自体不思議でした。私が子どもだった昭和30年代後半から40年代前半にかけては,おやつは終戦直後の主食でした。ふかしイモや水団(すいとん)をよく食べした。水団というのは,水で溶いた小麦粉をお湯の中にいれて固めるものでした。主食にするときは,汁に入れたりするのでしょうが,私の家ではきな粉をつけて食べました。少し経つと,母にドーナツを揚げてもらったり,ホットケーキを焼いてもらったりしたこともあります。これらのおやつづくりをよく見ていたので,小麦粉を水で溶いて加熱すると固まることを知りました。時々は,蒸し器をつかって,焼きプリンを作ってもらうこともありました。母が,寒天をつくっておやつにしてくれたこともありました。私自身も,カスタードプリンやゼリーを作ってみました。もっとも,私が創ったのは説明書にしたがって作ればできるインスタントのものでした。ゼリーや寒天は水分を多く含み,透明なのがとても不思議でした。ガラスもそうですが,透明なのに形がある事自体が不思議で仕方ありませんでした。当時は,インスタントのジュースや炭酸飲料が売られていました。粉末を水に溶かすだけで,ジュースや炭酸飲料になるのです。炭酸飲料は本で読んで,重曹と酒石酸かクエン酸を加えて自分で作ってみました(コラム33,実験22)。
日曜日の朝は,ジューサーでジュースをつくったり,玉子とコーンスターチで,カスタードクリームをつくったりすることもありました。カスタードクリームも私がつくるのが好きでした。
もう一つ印象に残っているのは,マヨネーズづくりでした(コラム160, 実験91)。玉子の黄身をかき混ぜ,油と酢を少しずつ加えながら泡立て器でかき混ぜながらつくるのです。もちろん水と油が混じらないことはしっていましたので,非常に興味深いものでした。私もよくつくってみたものです。
その他,母にはズボンやシャツなども作ってもらいました。何でも,自分でつくれるというのは,とても興味深いものでした。このように,家事というのは理科やものづくりに興味をもつきっかけの宝庫でした。
電気についても,家庭でまなびました。電気製品が壊れると分解してみたり,当時ブレーカーとともに使わていたヒューズ(電流が流れ過ぎると融けてきれる針金のようなもの。英語では”Fuse”といい,熱で融けるものといういみです)の交換をしたりしていました。これらは理科が好きな小学生にとって興味深いものばかりでした。