時間の感覚には個人差があります。同じ人でも同じ時間が,熱中しているときは短く,嫌なことをやっている時は長く感じるでしょう。時間の感覚は個人差があるようです。私の祖母は明治23年生まれでしたが,子どものころ「今何時?」と時間を聞くとほぼ正確に答えてくれました。昔の人は時計がなくても日差しなどでおおよその時刻がわかったのでしょう。
時間の感覚の見積もりには個人差があるようです。私が会社員だったころのある営業の人は客先の信用は厚い人でしたが,時間の見積もりの能力がやや弱かったのです。営業の人ですから,当然外勤が多くなります。そこで,外勤の時には何時頃に貴社するかホワイトボードに書いてありました。当時,会社に電話がかかってくると,たいてい,ホワイトボードに書いてある貴社時間よりも1時間半遅くいいました。そうするとたいていあたっているのです。真面目な人で,製品に対する技術的な知識は確かでしたので客先の信用はあるのですが,客先に遅刻するのはいつものこと。でも,彼だからと多目にみてもらっていたそうです。
学校の授業は時間割がありますので,時間配分等に気をつかうでしょう。休み時間に食い込むむと学生の貴重な時間を奪ったり,次の授業の担当教員に迷惑をかけたりします。そのために,少なくとも,休み時間に食い込むことだけはしないようにしています。学生にも,時間は守ることと,「何事の他人の貴重な時間をいただくという気持ちが大切」であることを学生に言っています。当然,私も学生の貴重な時間という意識で授業をやっています。
最近は,会議も予定時間を過ぎないように運営することが求められています。大学ですと,日程照会して,メンバーが集まることができる時間に会議を行う関係で,特に時間通りの会議進行を求められます。
授業や会議などのように正確に時間を使うことを求められている場合だけではなく,様々な作業でどのくらいの時間で終了するかということを見積もる習慣は必要です。会社で仕事をすると納期を求められることが多くあります。その時,どのくらいの納期でできるかについて見積もる感覚が大切です。その時に大切なのは途中で不慮の事態が起きる場合を考えてどれくらい余裕をもたせるかです。会社などでクレーム対応などで良品を選別する場合などは,良品率の見積もり,失敗などを考慮して求められない場合も自分なりに予想するようにしました。それを繰り返すうちにたいてい予想時間通りにできるようになってきました。
私はそのような感覚をつける訓練を受験勉強で行いました。ちょうど1時間で毎日決まった量の学習をするのです。だんだん慣れてくると,難しい問題とゆとりがある問題で時間の使い方が違ってきます。その中で,決めた分量を決めた時間にするのです。時間を区切ると効率がものすごくあがります。その代わり,長時間できません。受験勉強の時は,1時間学習したら1時間休むくらいのペースでないと長続きしませんでした。
忙しい時,忙しい人こそこのような時間を区切った仕事というのが大切ではないでしょうか。効率的に仕事をこなす上でもう一つ大切だとおもつていることがあります。それは,仕事を時間的に分割して行うのです。仕事を与えられたらとりあえず何をするかを見ておおよそのことを頭に入れておきます。それから,日を置いて着手するのです。場合によっては一日の分量を区切って,欲張ってあまり多くのことをやらないことも大切です。時間を置いてもその間に他のことをしていても,どうも頭の中で考えているようです。特に,大切なことについては,よく考えてから少なくとも一晩寝てからまとめることです。寝ている間に頭の中で整理しているようなのです。同じ理由で,大切なことはたいてい朝に決めるようにしています。もう一つ,些細なことは,普段よく考えています。むしろ考えることを楽しんでいると言った方がよいかもしれません。一方,就職,結婚,家を買うなど大切なことはあまり深く考えずに直感で決めるようにしています。大事なことは,理屈ではきめられないことと,あまり考えると後で迷うかもしれないからです。決めた後になって,あの時はこうすればよかったと考えるほどばかばかしいことはないと思っているからかもしれません。うまくいかなかったら,それが,何かを行うきっかけを与えていただいたと考えればよいと思っています。