「学校で学ぶことなんて社会に出てから役に立たない」ということを平気で子どもの前で言う大人がいます。そのような人はこれから社会に出る高校生や大学生の前でそれを聞いたら,どう感じるでしょうか?学ぶ意欲をなくすだけではないでしょうか?「何のために学ぶのか?」「数学を学んで何の役に立つのか?」という生徒もたくさんいます。多くの場合は,勉強するのが嫌だからそのようなことを言うのでしよう。でも,教える側が,教わる側に対して学校の勉強は社会にでて本当に役に立つと感じるように教えているのでしょうか? 社会に出て役に立たないように教えていることは,受験制度のせいにする人もいます。でも,本当にそうなのでしょうか。私はそうは思いません。
本来,学校の勉強は日常生活と深く結びついているはずです。そのことを知ることによって,多くの児童・生徒はほんの少しかもしれませんが,学ぶ意欲が高まるのではないでしょうか。まず大切なことは,授業で扱う内容を日常のものと結びつけて考えさせることだと思います。授業をこなすだけで大変だと思わるかもしれません。でも,ほんのちょっとした「余談」を日常のことと結びつけて話すだけで違うのではないでしょうか。さらに,いろいろな職業や仕事と結びつけて話すことも大切です。それだけでも,ちょっとした「キャリア教育」になると思います。
さらに,様々な事柄のつながりをつけながら,「ストーリー性をもって理解」することが活きた知識につながります。このような学習方法は,受験勉強としてもとても効率的なはずです。なぜならば,確実に知識として定着するとともに,ど忘れしても,答えを推理できるようになるからです。社会人になってから,何かの機会に思い出して,その深い意味を知るということもできるようになります。私は,未だに小学校で学んだことの意味について,気がつくことがしばしばあります。いろいろと学ぶことの間には,似たようなこと,つながりがあることがたくさんあります。それを結びつけていくことによって,「知識のネットワーク」をつくりあげていくことが大切ではないかと思っています。初対面の人でも,同郷だったり,共通の趣味を持っていたり,共通の知人がいたりすると,話がもりあがるように,新しい知識もすでに知っていることと,つながりがあることがわかると学ぶことが楽しくなります。最近「知識のネットワークづくり」を「知ってることの仲間づくり」とよぶことにしています。
さらに,「『自分ならばどうするか』を考えながら学ぶ」ことも大切だと思います。これは,社会人の学習法としても大切なことだと思います。本当は,小学校からこのような態度で学習するとよいと思います。小中学生で,家でほとんど学習しないのに,ある程度の成績をとれる人はこのような思考形態をしているのではないでしょうか。さらに,「どんな拙くてもよいから,学んだことを応用して考えられる」ようになることが大切ではないかと考えています。これらを私は「考え遊び」とよぶことにしています。私は「どんな拙くてもよいから,学んだことを応用して考えられる」ことを独学するときに,学習成果を自分で判断するときの目安のひとつにしています。もう一つの独学の達成判断の目安は想定読者がわかるように説明できることです。
関連サイト: 「第3回 主体的・対話的で深い学びとは」