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2009年八月、鬱陵島へこの地図を持って視察に出かけた。
感想としては、鬱陵島の地勢を把握するのに、非常に有益な地図であった。
先ず、北部の岩岩から検討していく。
左上の孔巖だが、是は現在、コッキリバウイとよばれる象巖であることは間違いない。
象巖には、そのすぐ脇に二つの短い列柱巖があるが、この地図では書かれていない。
http://www.panoramio.com/photo/26398779
また、この孔巖の西南、つまり香木亭をこえた南西の臺霞洞の北側に有る朱土窟がきっちりと書かれている。
孔巖の東には、燭臺巖らしきものが書かれているが、これがどの巖なのかは、照合できなかった。
今日の玄圃洞とおもわれる玄石仇味の西に書かれていること、
そして、錐峯の西に位置していること
孔巖付近から東に有ることを考えると、
この岩は、 錐山の西の陸地に有る老人峯などの岩かもしれない。
http://www.panoramio.com/photo/26069899
続いて、錐峯を中心として、左右に小さな立巖がかかれており、三仙巖と誤認しがちだが、
この錐峯は、玄圃と天府の間に有る錐山である。(が、なぜか海上に記載されている)
この錘峯が書かれた位置は、
今日の天府洞とおもわれる天底仇味の西
そして玄圃洞とおもわれる玄石仇味の東
に有ることを考えると、この左右に有る岩は、
陸地に有る老人峯などの山かもしれない。錐山の脇にはほかにもいくつかの燭臺形の小さな岩山が有る。
さて、ここからが問題である。 三陟圖と韓国中央図書館圖で、竹岩、三仙岩の牛角岩と兄弟岩、
そしてその東の観音島までとの間に有る龍岩と呼ばれる二つの岩の間の描写が若干違う。
(三陟圖に、韓国中央図書館圖をPlotしたGif)
ただ、天府は、今日の千年浦から竹岩、石圃間で幅広い地域を示す言葉ではある。
その東の一本の顕著な蟻竹巖だが、頂上に木が生えているのを考えると、
現在の竹巖と思われる。竹岩には樹齢600年の松が有るとの事。
しかしながら、上の比較Gifを見ていただくと判るが、韓国中央図書館圖では、
恐らくは竹岩は天底邱尾の左に書かれた大きな岩と思われる。
http://www.panoramio.com/photo/26123466
続いて、龍巖だが、これはおそらく三仙巖のうちの、兄弟巖であると思われる。
三仙巖は、牛角岩と、兄弟巖から成り立つが、兄弟岩は近くで見ないと二つの岩で有ることがわからない。
また、兄弟岩のうち、西側のものについては、天辺に馬の頭のような岩があり、この地図の龍岩にもそれが書かれている。
では、牛角岩はどこに書いて有るのか、という話になるが、それが判らない。
三陟圖は、書かれなかったのかもしれない。それは、 洋上から見ると、三仙岩が一つの岩に見えたり、牛角岩が角度によっては見えなかったりすることが有る為と推測される。
韓国中央図書館圖では、龍岩は、恐らくは天女のプール付近の中くらいの燭大願と、そのよこ、現在トンネルとなっている部分に
土台の大きな岩が有るが、これが昔は燭臺岩だった可能性がありうる。中央図書館圖では、左側が若干小さく、右側が少し大きいことを考えると、この天女のプール付近の岩であることも考えられる。
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その東南に書かれた小于島だが、これは、観音島である。
地図や写真を見ると判るが、この画像は、観音島の特徴を実に捉えているのである。
http://www.panoramio.com/photo/26069420
其の南、芋田の北にある、大于島だが、これは竹嶼である。
竹嶼は、鬱陵島を構成する付属諸島中、別格であるかのごとく顕著な岩島である。
2.2km離れている程度だが、実際見ると、かなり遠い上に、意外と大きい島である。
http://www.panoramio.com/photo/26069323
この島の南の付近が、芋田、つまり今日の芋洞や内守田あたりであろう。
其の南に倭船倉と書かれているが、これが、芋田の別名を示しているのか、
それとも道洞など別の地名を示しているのかどうかは、不明である。
内守田
http://www.panoramio.com/photo/26069214
しかし、其の南に長沙仇味が有ることを考えると、この長沙は長輿洞と沙洞をあわせたような地名で有るように考えることが出来るので、この地図における倭船倉は道洞だったのかもしれない。
沙洞
http://www.panoramio.com/photo/26021916
更に西南へ行くと、楮田という地名があるが、場所が地図によってまちまちなので、ただ単に楮が生えている田が多いというだけ出ることも考えられる。
北西から南に地名を見ていくと、
先ず、待風仇味があるが、これはおそらく香木亭付近の湾である。
http://www.panoramio.com/photo/26023973
次に、朱土窟が書かれているが、これは臺霞洞の北側、香木亭の下にある黄土窟である。
http://www.panoramio.com/photo/26123689
さらに待風所が書かれているが、これは定かでない。おそらく南陽洞や通九味にある船着場とも思われるが定かでない。
次に、沙汰仇味があるが、これはおそらく今日の沙汰仇味などがある西南部と思われる。
この下に岬と岩が書かれているが、これは今日の可頭峯と、Seal Pointの岩で有る可能性が高い。
鬱陵島遊覧船は、現にこの可頭峯と、Seal Pointの岩の間を航行したので、これは南部の目印的存在で有ることが考えられる。
南部の検討だが、南部ははっきりしない。
この三つの仇味は、韓国中央図書館では、広がって記載されているが、
この三陟圖では、非常に近接して記述されている。
萍卓仇味はどこなのか定かでない。
都蔵仇味はどこなのか定かでない。
桶仇味は、おそらくは通九味と思われるが、定かでない。
ここでひとつ矛盾を感じると思うが説明しておく。
桶仇味は、おそらくは通九味と思われるが、この場所は、実際は可頭峯よりも北西に有る。
しかし、三陟図には、可頭峯の東方向に書かれている。
これは、この地図は、まず鬱陵島の玄関口である西側から鬱陵島の側面の眺望を書いた後、東側からの眺望を書き、
それに反映されていない死角となっている南の部分を継ぎ足し、最後に鬱陵島の付属島/岩を記載しているのである。
鬱陵島の西部から見ると、北の香木亭から、南の可頭峯が見えるのだが、
(シミュレーション画像)
この眺望だと、南陽洞や、通九味などの場所の詳細がわからない。それゆえに、南の部分に其の情報を継ぎ足した為、可頭峯とシールロックの東に通九味がかかれているのである。
この下に岬と岩が書かれているが、これは今日の可頭峯と、Seal Pointの岩で有る可能性が高い。
鬱陵島遊覧船は、現にこの可頭峯と、Seal Pointの岩の間を航行したので、これは南部の目印的存在で有ることが考えられる。