・角型の鬱陵島地圖には二つのパターンがある。
ひとつは、18世紀中旬ころに興る朝鮮地図の鬱陵島図を踏襲した地図でこれには于山
島は、北東30-40里に書かれており、形状が勾玉のような形をしているものである。このような形状の島は存在しない。 もちろん、この形状・位置は、二つの岩島からなり、東南220里にある現竹島にも合致しない。
もうひとつは、18世紀後期ころ興る、海東與地図の鬱陵島図を踏襲した地図で、是には于山島は、北東5-10里に書かれており、形状は具体的で、今日の竹嶼の形状をしているのである。位置・距離感・形状がすべて合致する。
しかし、これら二つの種類の地図には、南の傍らに五つの小島が記載されている。是が何なのか。このような南にある小島は存在しない。 また、次に、鬱陵島本島の形状には違和感を覚える。 鬱陵島は、北が直線的で、南が可頭峯を頂点として三角形状をしているのである。つまり、これら古地図の鬱陵島本島の形状は、南北を反転させたものを、時代を経るにつれて情報を上書きしていったた可能性がある。鬱陵島には、東西に各一箇所ずつ、大きな川(台霞川・朱沙川)があり、まあ、間違いに気がつかない可能性もありうるだろう。
この図をまず試しに反転させてみる。
鬱陵島本島の形状のみに着目すると、おおよそ、実際の鬱陵島の形状に合致する。 とりあえず、ここでは、鬱陵島本島の考察なので、ここに書かれた于山島は無視して考えるが、ご容赦いただきたい。
南にあった五島は、北に移動することになる。 鬱陵島の北部海岸には、確かに孔岩などの小島や三仙岩などの小岩などが記載されている。 このことを考えると、上の反転させた地図の左の一島は、孔岩で、ほかは三仙岩などの北東部の小島の類である可能性も考えられる。
しかし、この、ためしに反転させた形状にまったく合致する地図が存在する。
海東地図ー大東総図という地図がある。 これは、まさに従来の鬱陵島をひっくり返したものである。この地図は、鬱陵島詳細図ではなく、朝鮮半島全 体図のうちの鬱陵島部分なのであるが、妙に、鬱陵島が詳しく書かれている。つまり、この地図の元になった、典型的な鬱陵島図を南北に反転させたような鬱陵島詳細地図があった可能性も考えられそうである。このちぞをみると左上の一岩は孔岩、右上の二つは三仙岩、右の二つは とも仮説として考えられなくはない。 ウサン島の位置は、鬱陵島の西側に記載されてある。倭船倉可居と書かれていることから、1694年以降の地図である可能性は高い。 しかし、張漢相以降の認識で、于山島は北東部に記載さえていることが多いが、 その一方でやはり従来の與地勝覧の江原道図(1300-1711 Korean antique maps)に、鬱陵島の西に書かれた(幻の)島を于山島と認識しており、鬱陵島の西側に于山島を書いた地図も1694年以降、少数派にはなるが、引き続き製作され続ける。これら反転させた後の"北部の五島”は、調査員の鬱陵島詳細図の配置に似ている。もちろん、調査員の地図には、于山島は(北)東部に記載されているのであるが。
これらを考慮すると、あくまで仮説であるが、
上の二つの角型地図のうち、勾玉の形状の于山島が記載されたもの(18世紀中旬ころに興る朝鮮地図)は、「鬱陵島+北部五島」の地図を反転させて書いた地図を基に、與地勝覧の図などの「西に于山島」がある認識を加えた、
地図の左側、即ち西にウサン島を書いた。 しかし、調査員たちの報告通り、やはり于山島は東にあるので、地図を南北反転させた結果の地図である可能性がある。
竹嶼の形状が記載された于山島が書かれた地図は、勾玉形状の地図を持っていった別の人間が、「勾玉形状の于山島」を「于山島竹嶼」により詳しく書き加えた可能性もある。
まあ、海東地図「大東総図」の原本がどの鬱陵島詳細図からの引き写しかわからないため、個人的な仮説でしかない。
1.まず、鬱陵島図があったと仮定する。2.1の地図に、與地勝覧の認識(鬱陵島の西に于山島が有る認識)において、于山島を西に書き加えた3.やはり、于山島は東にある、とのことで地図を反転させた。このときに、鬱陵島本島+北五岩も一緒に反転させた。これにより南の五小島が出来た。しかし、南にある五島がなにであるかが引き継がれないまま書き続けられることになった。また、この段階で、張漢相などの調査員の報告した地形情報を書き加えていった。4.さらに情報がUpdateされると、鬱陵島の北東部傍にある島の描写がリアルに書き換えられる。しかし、南にある五島がなにであるかが引き継がれないまま書き続けられることになった。三峰島Ⅰ 北の小岩説西距島七八里許到泊 望見 則 於島北 ①有三石列立 三仙岩(牛角岩+双子岩)②次小島 竹岩③次巌石列立 錐山+老人峯④次中島 孔岩⑤ 中島之西又有小島 香木亭沖の岩・または孔岩近くの二つの岩皆海水通流 亦海島之間 有如人形 別立者三〇*問題 顕著な島で有る観音島と竹嶼を無視できるのか?Ⅱ.竹嶼・観音島説西距島七八里許到泊 望見 則 於島北 ①有三石列立 三仙岩(牛角岩+双子岩)②次小島 観音島③次巌石列立 ?【観音島東部の岩礁だがm現在顕著なものは一つ④次中島 竹嶼⑤ 中島之西又有小島 兜岩皆海水通流 亦海島之間 有如人形 別立者三〇
*問題 ③次巖石列立がどれかわからず。
Ⅲ竹島説
西距島七八里許到泊 望見 則
於島北
①有三石列立 三仙岩(牛角岩+双子岩)
②次小島 観音島
③次巌石列立 ?
④次中島 竹嶼
⑤ 中島之西又有小島 兜岩
*問題 竹島の西島は、メインの島であり、中島とは妥当でない。