【神戸市立博物館 竹島問題・韓国の主張覆す古地図発見 について。】
の内容にたいして、日系韓国人、保坂がまた、いい加減な歪曲プロパガンダを主張した模様です。
【竹島問題】 日本で発見された独島地図、逆に朝鮮領土であること示す~保坂祐二世宗大所長[08/24]
http://img.yonhapnews.co.kr/photo/yna/YH/2010/08/24/PYH2010082400300001300_P2.jpg
(ソウル.東京=聯合ニュース)18世紀、朝鮮が独島(ドクト、日本名:竹島)を江原道に属する自国領
土と認識していた事実を示す古地図が日本で発見されて関心を引いている。
24日、産経新聞インターネット版によれば神戸市立博物館が朝鮮時代の木版印刷古地図の「江
原道図」を保管中の事実が最近、明らかになった。同紙は地図に記載された地名から推し量ると、
この地図が1684~1767年間に朝鮮で流通したと見られるとし、当時の韓半島古地図が実際に確
認されたのは初めてだと付け加えた。
地図には鬱陵島(ウルルンド)の南側に「子山(独島の過去の名前)」という島が描かれている。産
経新聞は独島が実際には鬱陵島の東南側92kmの地点にある点を考慮すれば、南側に描かれた
この島は独島ではないと断定した。
同紙は一歩進んで安龍福(アン・ヨンポク)が1696年、日本に渡って「子山は朝鮮領土」という認定
を受けた事実に言及し「この地図(江原道図)の'子山'は実際の竹島(独島の日本側地名)と方向や
距離が異なるところに描かれており、別の島である可能性が大きい)と書いた。安龍福は日本で
朝鮮の土地だと認められた「子山」は独島とは違う島だと主張した。
だが、専門家によれば産経新聞の解釈とは正反対で、この地図は朝鮮が独島を江原道に属した
自国領土と認識していたという、もう一つの根拠と解説される。
保坂祐二世宗大独島総合研究所長は「当時は絵地図だから方向や距離が不正確だったし、朝鮮
には経度や緯度の概念がなかった。19世紀になって初めて正確な地図が出てくるから日本側の
主張は韓国の実像をよく知らない発言」と指摘した。保坂教授は引き続き「江原道図に独島を示
す子山島を描き込んだことは当時、朝鮮が独島を自国領土と認識していた事実を見せるもの」と
話した。
また、日本側の推定と異なり、この地図は安龍福が日本に渡った17世紀末でなく18世紀に描か
れた可能性が高いと指摘した。保坂教授は「'子山'は安龍福が独島を指して初めて使った地名で
歴史書物上では1728年に刊行された粛宗実録に初めて登場した」として「この地名が載っている
のを見ればこの地図は1730年代以後に出てきた可能性がある」と話した。
ソース:聯合ニュース(韓国語) "独島、江原道の地表記..18世紀地図日で発見"
http://www.yonhapnews.co.kr/politics/2010/08/23/0503000000AKR20100823223600073.HTML
この保坂氏の説明ですが、実にいい加減な説明をしているようですので、解説します。
「だが、専門家によれば産経新聞の解釈とは正反対で、この地図は朝鮮が独島を江原道に属した自国領土と認識していたという、もう一つの根拠と解説される。 」
確かに、朝鮮王朝が”于山島”が朝鮮領土であるという意識があったことは間違いないのですが、しかしながら、挑戦王朝がこの”于山島”が”現在の竹島(記事中:独島)であることを認識していたであることが確認が取れておりません。
「保坂祐二世宗大独島総合研究所長は「当時は絵地図だから方向や距離が不正確だったし、朝鮮には経度や緯度の概念がなかった。19世紀になって初めて正確な 地図が出てくるから日本側の主張は韓国の実像をよく知らない発言」と指摘した。保坂教授は引き続き「江原道図に独島を示す子山島を描き込んだことは当時、 朝鮮が独島を自国領土と認識していた事実を見せるもの」と話した。」
「当時は絵地図だから方向や距離が不正確だったし、朝鮮には経度や緯度の概念がなかった。」
と述べているようですが、言い訳になりません。地図は、緯度経度の概念がなくとも書くことはできます。少なくとも、本当に当時、実在を確認し、場所を知っ ていたとすれば、東西南北の概念がある程度で書くことができるものです。また、朝鮮には、里程考や択里志にみられるように、ソウルからのそれぞれの場所の 距離を測るような概念がありましたし、鬱陵島調査の記録にも、方角、歩数や、里がきちんと記載されていますので、そのあたりは、朝鮮人は表現できたので、 緯度経度の概念を理由に地図の不適当さを説明することは、不適当です。
また、本人は、「19世紀になって初めて正確な地図が出てくるから日本側の主張は韓国の実像をよく知らない発言」
と述べています。基本的に、19世紀以前の認識に基づいた地図、今回の神戸の古地図のような、于山島が鬱陵島と朝鮮半島の間に記載されるような地図は、おもに東国輿地勝覧の認識、つまり一島だか二島だかよくわからないという認識に基づいています。
私は、この19世紀以前の、于山島が鬱陵島の西、朝鮮半島との間に記載されている理由については、個人的な推測ですが、一島である鬱陵島が、角度や山の起 伏の関係で、億に大きな島、その少し手前に小島、といった構成の二島に見える、という仮説を主張しています。これは、一部の鬱陵島古地図や、鬱陵島を朝鮮 半島から描写した絵画を基に、コンピューター計算の結果を考慮してみたのが以下のものです。
https://sites.google.com/site/takeshimaliancourt/Home/ull...
そして、保坂氏の主張する、「19世紀の正確な地図」とは、以前に保坂が歪曲主張をした、海東輿地図などの、鬱陵島詳細図の話になります。
1694年の張漢相の鬱陵島調査以降、現地調査に基づく鬱陵島地図が朝鮮王朝のサムチョクや平海などの、鬱陵島を管理する捜討官によって作成されることになります。
https://sites.google.com/site/takeshimaliancourt/Home/cho...
そして、その結果、その情報を反映した鬱陵島詳細図が出回るようになります。保坂氏の主張する海東與地図もその一つです。保坂氏は、「この海東輿地図の”于山島”には、山がある、ゆえに于山島は「独島」である」、と主張しています。
(藪太郎の研究室)
http://outdoor.geocities.jp/yabutarou01/a/newpage2.html
海東與地図は角形の鬱陵島詳細地図というカテゴリーになります。
https://sites.google.com/site/takeshimaliancourt/Home/pen...
これらの地図を見てみますと、しかしながら、この于山島は、鬱陵島東北部、わずかな距離の位置にあり、かつ、島は南北に長細い、一つの島です。
竹島(Liancourt)は、南東90Km先にある、二つの岩島です。
竹嶼(Boussoule)は、東北2.2km先にある、南北に長細い島です。
遠望写真で見ると、一見竹嶼には、山などないように見えますが、”竹嶼”を示す古地図には、北部に隆起や標高が高い表現がなされています。
(藪太郎の研究室)
http://outdoor.geocities.jp/yabutarou01/a/newpage2.html
さて、この記事が出た後、古参の皆様はご存じだと思いますが、私は、鬱陵島と竹嶼に上陸したところ、この、竹嶼北部は、高台の森になっており、そこへは、 階段を上がっていくような場所になっていました。まさに、古地図の表現にぴったりの場所であることが確認がとれています。
(詳しくは、私が実際に鬱陵島へいって撮影してきた映像をご覧ください。・伝説の于山島を訪ねて~于山島竹嶼上陸動画)
つまり、保坂氏が、19世紀の正確な地図を出すことは、自分の首を絞めているようなものですが、このように保坂氏は悪質なブラックプロパガンダを乱用している(日系)韓国人なわけです。
(保坂については、鳩山にプロパガンダ工作を仕掛けていたことが報道されています。。【早速鳩山が竹島の件で韓国側工作員に工作されていたことが発覚】)