島根の竹島が掲載されているのは主に地理と歴史の付図である。これらの記述について、地理と歴史を分け、更に官製の出版物と一般出版社の出版物と分けて記載していく。
尋常小学地理書 巻一 文部省 1918 P76 (日本海の島根県沖の)島にはおきあるのみ」
尋常小学地理書 巻一 文部省 1934)P105 (文部省 1938)89P 「(日本海の島根県の)島も隠岐を主なものとするに過ぎない」
1913.尋常小學地理附図 第十七編 朝鮮地方1 文部省 筑波大学付属図書館
著作権発行者 文部省 発行者日本書籍 代表者大蔵保五郎
朝鮮の範囲は鬱陵島までが記載 .竹島は表記時代がない(朝鮮図だからであろうか?)
http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/pub/kaken/H20/lime/10088014967/10088014967_020.html
日本図にも鬱陵島の記載のみ
http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/pub/kaken/H20/lime/10088014967/10088014967_004.html
http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/pub/kaken/H20/lime/10088014967/10088014967_006.html
近畿地方・中国四国地方に隠岐の記載はあるが竹島は未記載
http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/pub/kaken/H20/lime/10088014967/10088014967_012.html
http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/pub/kaken/H20/lime/10088014967/10088014967_013.html
1914.小学日本地理教授資料報告
文部省 編 国定教科書共同販売所
朝鮮地方 極東 鬱陵島東端 東経 百三十度五十四分
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/935752/291
人口統計;鬱島郡
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/935752/298
島嶼 鬱陵島(*説明)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/935752/307
島根県 其他重要なる事項 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/935752/219竹島 隠岐を去る西北八十五浬に在り隠岐島司の所管にして日本海海戦により名高し
1914.増補 地文學敎科書
朝鮮総督府 大正三年3月23日 伊崎開く治 印刷 博文館印刷所
朝鮮は欝陵島まで記載。竹島は朝鮮図に記載なし。
「稿本日本地理教科書附図}1914 アルゴノート竹島
普通学校地理補充教材 1923 アルゴノート竹島
1924.尋常小学校地理書附図(日本地図)■大正13年
http://page19.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/x138033004
著作権発行者 文部省 発行者日本書籍 代表者大蔵保五郎
鬱陵島のみが記載(日本図)
2.
3. 尋常小学地理書附図 文部省 1938 第十九図 朝鮮地方
朝鮮の範囲は鬱陵島までが記載(慶尚北道) (竹島は記載がない。朝鮮図だからであろうか?)
4 初等地理書附図 朝鮮総督府 1934 P10-11 中部朝鮮
鬱陵島(慶尚北道) / 竹島(島根県) が記載 (玉川大学) (朝鮮図ではあるが、島根県・竹島の記載がある)
2005年04月30日に、「独島(ドクト)は朝鮮の土"朝鮮総督府公式教科書初めての発見」
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=103&oid=079&aid=0000035516
という報道があり、そこで、1934年の初等地理所附図内に竹島之記載があることを根拠としているが、
そもそも、島根県の竹島は朝鮮総督府に属していないので、おそらくはこれを作成した担当者が、鬱陵島竹嶼である竹島(東経130度56分23秒)を島根県の竹島(東経131度55分)と勘違いして誤って表記したことが考えられるが、玉川大学版を見てわかるとおり、すぐに修正が入っているようである。そもそも、朝鮮総督府は、朝鮮総督府の管轄範囲を、東経130度56分23秒と規定しており、島根県竹島131度55分は当然管轄に入っていないわけですから。(朝鮮領土の東限の記述は、鬱陵島竹嶼までで、現竹島は含まれない)5 初等地理書附図 朝鮮総督府 1934 「中部朝鮮」
朝鮮の範囲は鬱陵島までが記載(慶尚北道) (竹島は記載がない。朝鮮図だからであろうか?)
6 地図6 初等地図 朝鮮総督府 1939 地図6 玉川大学教育博物館登録番号A9782
鬱陵島(慶尚北道) / 竹島(島根県) が記載 (玉川大学)(朝鮮図ではあるが、島根県・竹島の記載がある)
1937. 地図名不明 ”1937年朝鮮総督府が朝鮮学生を教育するために発行したのも””
http://sisainlive.com/news/articleView.html?idxno=2524
鬱陵島 慶尚北道 / 竹島 島根県
1937.尋常小学地理書附図 文部省 商品説明 昭和11年2月28日 翻刻発行 東京書籍株式会社
朝鮮図は鬱陵島までの記載。http://page5.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/e95282345
2.以下は、教科書、または地理教材で、民間会社作成のもの(省庁以外の発行のもの。)
1912.小学地理教材 第三刷「樺太・朝鮮・満洲」北垣恭次郎著 出版事項 東京:宝文館,明42−45
朝鮮の範囲は 鬱陵島(松島)まで。
1934.朝鮮総督府初等地理書「巻一」解説 小川英男 著 古今書院
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1280140/17
位置・面積 朝鮮は・・・・本地方は南北緯度10度余 東西経度役6度の間にあり。 南北に細長く走るため緯度から見れば内地の九州島北部から北海道の南部にいたる地域を占めている。その東西南北の極点を示せば次の様である。
極東 東経130度56分 慶尚北道鬱陵島竹島
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1280140/38
鬱陵島 日本海中にある面積七十三平方?余の火山島で、人口約一万人。その中、内地人が約500名余人滞在している。行政上慶尚北道に属し島庁が置かれている。住民は主として農牧業と漁業に従事する。江原道竹邊港から八時間を要し一週一回定期船が通ふ
1934. 尋常小学修正地理書解説. 尋6 図書 高橋勝 著 明治図書
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1453227/75
極東 東経130度56分 慶尚北道鬱陵島竹島
1940.初等地理 朝鮮總督府 編 朝鮮書籍印刷
1941
1943
歴史地図について
1文部省や総督府など公官庁発行のものと、2副読本や参考資料扱いの一般の出版社作成のものにわけて羅列していく。
1.1文部省や総督府など公官庁発行のもの
1938小学校国史教師用書 文部省 1938 P340-341「明治三十七八年戦役要地図」 鬱陵島 竹島
鬱陵島 /// 島根竹島 が 記載
2副読本や参考資料扱いの一般の出版社作成のもの
1912 (明治45) 参考中等日本歴史地図 藤田明 著 宝文館 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/770150/2
明治二十七八年役及明治三十七八年役要地図 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/770150/37
鬱陵島(松島) 竹島(リアンコルド島)の記載。
索引の欄にタケシマ「竹島(朝鮮)十八 二十八ノ一」の記載あり http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/770150/110
(註*18の竹島は全羅道の竹島で島根の竹島ではない。 28-1の竹島はリアンコールド岩)
1926 日本歴史地図 三省堂編輯所 編
(19) 日露戰役關係要地圖 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/981565/25
鬱陵島(松島) 竹島(リアンコルド島)の記載。
索引の欄にタケシマはない http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/981565/32
1926. 日本歴史地図 芝葛盛 編 明治書院
1924年 10月 1日日本明治書院で発刊したこの教科書には露日戦争当時戦闘状況を盛った地図 '日本海海戦も'(日本海海戦図)いらっしゃろうとある。 この地図には 1905年 5月 28日午前 10時日本第4艦船が戦闘を指揮したという説明とともに地名を紹介する索引欄に竹島(独島)が朝鮮に属すると明示した。とあるが、この本は、「教科書」ではなく、地図帳の類である。「日露戰役關係要地圖」には、鬱陵島(松島) 竹島(リアンコルド島)の記載索引の欄にタケシマ「竹島(朝鮮 33-2」の記載この地図帳の続編が以下のものであるが、同様の表記である。1933 新編日本歴史地図 芝葛盛 編 明治書院
(19) 日露戰役關係要地圖 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1189932/73
鬱陵島(松島) 竹島(リアンコルド島)の記載
索引の欄にタケシマ「竹島(朝鮮 33-2」の記載 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1189932/83
1939 日本東京学習社で発行した尋常小学国史絵図 下券 40ページ
韓国人はこの地図をもとに竹島が朝鮮地方であったと主張するが、
よく見ると、鬱陵島と竹島の間にも、竹島と隠岐の間にも、行政区画を示す線がない。
なお、上記の地理の付図には、みな行政区画線があるにもかかわらずだ。
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2008/06/1939-jpn-textbook-shows-liancourt-rocks.html
これ、この画像をよく見ると、右側に、「明治三十七八年戦役」と記載がある。
そう、つまり、これは、日本海海戦を説明するための付図であり、行政区分を教えるための付図ではない。
単なる製作元の着色の間違いだと考えられる。 行政区分を教えるものは、地理であり、この歴史の「絵図」ではないのは明白である。
1874..師範学校編編 日本地誌略 巻三 1874 文部省
「(隠岐は)群島、北海中に列峙して、国を成し、知夫、海部、周吉、越智の四郡あり、(.............)又、西北の洋中に、松島、竹島あり
1908.小学日本地理教授資料報告 文部省 編 国定教科書共同販売所
島根県 島根縣(二) http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/762041/104
其他重要なる事項
竹島 隠岐を去る西北八十五浬に在り隠岐島司の所管なり