0~1699
朝鮮の地圖には、現竹島(二つの島からなり、鬱陵島の南東90Km先にある島)を明確に示す地圖は存在しないが、朝鮮が製作した地圖を羅列する。
韓国側は、朝鮮半島全体圖や江原道圖に記された鬱陵島と于山島を提示してこの于山島が現竹島であると主張するが、これら朝鮮半島全体圖や江原道圖に記載された鬱陵島の姿は、鬱陵島詳細圖を簡略化したに過ぎない。
鬱陵島の詳細図は、主に1694年以降の朝鮮王朝の鬱陵島捜討官が鬱陵島を調査の上、製作した鬱陵島詳細図は、これは朝鮮王朝の命令に基づいているわけで、この地圖は朝鮮王朝の于山島認識を考える上で、非常に重要である。
朝鮮の地圖は、大まかに1694-99年以前と以降で変化する。1694-99以前は、于山島は鬱陵島と同じ大きさ、または傍らに有る小さい小島として描かれるが、主に西側・南西・北西に記載される。
一方1694-99以降、つまり鬱陵島の本格的な調査が始まった後は、東側および北東に長細く記載される事になる。つまり、Usando于山島は、Boussole Rock=Jukdo竹嶼である。ただ、1850-60年以降、于山の位置に混乱が見られるが、これは東国輿地勝覧などの古い認識、つまり「于山」は再び鬱陵島の古い旧名であるとの認識が再度登場するからである。ただ、之は1900年頃には大韓全圖みられるように、混乱は再び収束しているように見える。このあたりの検討も今後の課題である。
地図リスト
・1300-1711 Korean antique maps
・1711-1800 Korean antique maps
・1800-1870-korean-antique-maps
・1870-1910 Korean antique maps
テーマ別にも分けてあるので、参照されたし。
・1694年以降の朝鮮王朝の鬱陵島捜討官の製作した鬱陵島詳細図
・円型の鬱陵島圖形(+江原道圖)
・お結び型の于山が書かれた地図。(藪太郎氏) 保坂への反論(薮太郎氏のWebsiteに飛びます)
是よりも大幅に強化して有ると思います。