竹島編入は秘密だったのか?

韓国側は、竹島編入は、事前通告もなく、秘密裏だったので無効、と主張するが、
事前通告に就いては、必ずしも必要でないことがわかっているし、
竹島を編入したことは、別に秘密でもなく、公然と報道されていた為、
韓国の主張は歪曲であります。


1905.02.22 公文類集第29編
- 1905年、日本の竹島領有宣言の過程

1905.02.24.『山陽新聞』 http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/saninshimbun/1905-02-24.html
「隠岐の新島」
隠岐の新島 北緯37度9分3秒、東経131度55分、隠岐島を距る西北85浬にある島嶼を竹島と称し、自今、隠岐島司の所管と定めらると県知事より告示せり。右島嶼は周囲15町位の二島より成る。周囲には無数の郡島散在し、海峡は船の碇泊に便利なり。草は生え居たるも樹木は無しと云う。

1905.02.25 『山陰新聞』 http://www.kr-jp.net/meiji/sanin_shinbun/sanin1900-05(2).pdf
「小絃」
隠岐国に竹島を合併して島司の管轄に属せしは、縦し蕞尓たる島嶼なるにせよ、少しく爽快を感ずる所がある。即ち島根県が竹島だけ所管が広 くなりたる訳であって、此所属なき小島が明かに国土に編入せられたることである。▲弾丸黒子の島嶼の有無は島根県の価値を高低するに足らざるも、既に編入 せられたる以上は之れを利用するの計を講ぜねばならぬ。▲無人島にして樹木無く雑草離々として人の住居に適当せざるべきも、船舶の碇繋に便利なるは最も喜 ぶべきことにして、来往の困難ありとするも充分湾内に避難するを得るのである。▲吾人は移住を奨励するにあらずして、出稼地として適当なるを信ずるもので ある。即ち海驢の棲息場として漁場として有名なるを以て、隠岐人は永遠の利源としてこの島を持たねばならぬ。▲出稼上、樹木と清水との必要あるは、説くま でもない。隠岐国と地質を異にせざる同島に於て、樹木必ず枯損すると断ずべからず。海風吹き荒めるにより、移植に保護を要するや勿論なり。又、天候険悪に して怒涛激浪の時は、数十日間孤島に滞留せざるべからざる場合もあるべく、家を造るの木、風を防ぐの木、食餌煮沸の木として、最も小林が尊敬を拂はらるる べく、其他船舶の応急修理の木、避暑の木としても貴重なるべく思はる。▲清水なくんば一日生息すべからず。蓋し小林之れを涵養するに至らんと想像せらる。 ▲海驢は、従来隠岐人の捕獲するものにして堺水産博覧会にも出陳せしほどであるが、一特有物産として販売するを得るべきもので―(以下数行なし)
資料起こし:matsu氏:http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2009/11/1905-march-japan-officially.html?showComment=1258557481721#c7646523718045809579

1905.03.00 『隠岐新報』16号
「隠岐国境の膨張」という社説を公然と載せているので、秘密ではない。
隠岐の西北八十五浬を距る海洋に存在する島嶼を竹島と命名し隠岐の新領土として隠岐島司の管轄に属せしめ られぬ、吾人豈太白を浮べて祝せざるを得んや、抑も竹島の地たる姉妹二つの島嶼、数多の小島嶼以て點々包囲せられ、其面積の如き未だ詳にせずと雖も、棲居 敢て凌ぎ得ざるにあらずといふ、而して陸産としては殆んど利するものなきも、海産に於ては海獣其他漁利鮮なからずと聞く、由來我島民中夙に同島に航して獲 たる所のもの少なからず、事実上隠岐の領土に属し居りしは既に久し、然るに公然之を認められざりしは遺憾の感ありしに、今や公認の令に接するを得たる上は 我島民たるもの大に期する所なかるべからず、然れども同島固と狭小なり、産物の濫採は永久の利を得る所以にあらざれば一時の利を競ふて無限の利を顧みざる が如きことなきを要す、當局者たる者亦大に此點に留意する所なかるべからず、兎に角隠岐の地籍に新領の上るは何れの町村の所属となるにせよ、確かに隠岐の 一大幸福たり、吾人は快感禁じ難く玆に一言を陳じて隠岐境土の膨張を祝す、 (弱魚)

1905.04.15日発行の地学雑誌196号
「帝国新領土竹島」の記事が、公然と掲載され出版されているので、秘密ではなかった。
地学雑誌140(M38.04.15)
帝国新領土竹島
明治三八年二月二二日を以て
島根県知事は同県告示第四三号に於て北緯三七度九分三
〇秒、東経一三一度五五分。隠岐国を去る西北八五浬
在る島嶼と竹島と称し爾今島根県所属隠岐島司の所管と
定めたる旨を告示したり。
 該島嶼は韓国の範図に属する鬱陵島(松島)Dagelet
Islandと共に、日本海上の孤島にして、未だ何れの国に
も属せず。二島共岩石より成り其一は周囲一五町余、二
島を合して周囲一里余。島上には鳥糞常に堆積して白色
を呈し、飲料水は有れども樹木なく僅かに青草を見るの
みにして海驢頗る多く棲息せるが故、年々漁業に渡航する
もの多し。列岩附近は海底深しと雖も、其位置函館に向
つて日本海を航行する船舶の航路に当るを以て極めて危
険なりと云ふ。同列岩は西暦一八四九年佛船リアンクー
ル Liancourtの発見にかかり其称呼を船名に取りたり超
へて一八五四年露国フレガード形艦パラスPallas号は此
列岩をメナライMenalai及オリヴァツOlivutsu列岩と
名け、一八五五年英艦ホルネットHornet号は之をホル
ネット列島と名けたり(明治三二年日本水路部発行挑戦水路誌に拠る)(ア、タ、)
(資料提供:Purachaka氏)


1905.06.01 読売新聞 (M38) http://blogs.yahoo.co.jp/chaamiey/54606987.html (資料提供:Purachaka氏)
リヤンコルド岩 
リヤンコルド岩(一名竹島)ハ往昔より無人の一島嶼にして餘り世人の耳にも入られざりしが該島にハ海驢多く産せしより島根縣民ハ屡々該島に渡りて之を捕獲 し居りしと云ふ然るに其の所轄ハ是迄何れとも判明ならざりしより本年二月内務省ハ始めて之を島根懸所轄と定め新に竹島と命名したりこれ鬱陵島の松島に對し て名けられしなりとハ松永島根懸知事の一夕話にして尚ほ同知事ハ図らずも今回の大海戦に際し此の一小島嶼が東郷大将に依って世界に紹介せられたるの光栄ハ 即ち我島根縣の光栄なりとて悦び居れりと


1905.06.05 官報 訂正
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka31/gazette-1905/08.jpg
去月二十九日官報号外本欄日本海海戦戦報の項其三、及び同三十日同日日本海海戦続報の項其五中「リアンコールド岩」を孰も「竹島」に訂正

1905.06.05.朝日新聞 http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/asahishimbun/1905-06-05.html
(紙面に、日本海海戦と竹島の位置を書いた挿入図が掲載される)

1905.07.03.山陰新聞 - 海戦記念絵葉書 を公に発行。
1905.08.06.山陰新聞 - 松永知事一行の竹島渡航を公に報道
1905.08.22.山陰新聞 - 本県の新領土たる竹島と公に報道


1905.08.地学雑誌 第200号 - 隠岐国竹島に関する奮記1 (冒頭にリアンコールド岩のことが紹介されているが、しかし、そのあとの内容はすべて江戸時代の竹島つまり鬱陵島を、1905年に編入した竹島と勘違いして書いた記事。)
1905.09.地学雑誌 第201号 -  隠岐国竹島に関する奮記1 (江戸時代の竹島つまり鬱陵島を、1905年に編入した竹島と勘違いして書いた記事。)
1905.10.地学雑誌 第202号 -  隠岐国竹島に関する奮記2 (江戸時代の竹島つまり鬱陵島を、1905年に編入した竹島と勘違いして書いた記事。)
1906.06.地学雑誌 第210号 -  隠岐国竹島に関する地理学上の知識(内容はリアンコールド岩つまり新竹島の話であるが、末尾に200号、201号、202号に書いた竹島は、鬱陵島の話であると訂正が入る。)


1906.03.11.山陰新聞 - 竹島行決定の記事
1906.03.11.山陰新聞 - 竹島一行西郷出発
1906.04.01.山陰新聞 - 竹島土産
1906.04.03.山陰新聞 - 竹島航海日記 (一)
1906.04.06.山陰新聞 - 竹島航海日記 (二)
1906.04.08.山陰新聞 - 竹島航海日記 (三)
1906.04.10.山陰新聞 - 竹島航海日記 (四)
1906.04.12.山陰新聞 - 竹島航海日記 (五)
1906.05.27.電報新聞 - 1906年5月27日、竹島の写真付きで海軍記念日を報道



*
ちなみに、内藤正中は、論文「1905年の竹島問題」P19(PDF10)の中で、
http://www.kr-jp.net/ronbun/naitou/naito-1110.pdf

もともと新しく県土に編入された竹島が、これまでリヤンコールド岩なりリヤンコ島と呼んでいた無人島を改称したものであることは、「山陰新聞」のどこにも出ていない。リアンコールド岩が竹島であるとする記事が「山陰新聞」に掲載されるのは1905年06月06日付の記事であり、官報に海軍省公表記事の訂正が掲載された翌日のことであった。
.........(中略).........閣議決定文と同じ文章で通達でながしても、緯軽度だけでは其の島に対する具体的まイメージは作られず、既存の島名を併記しておれば、新島竹島がリヤンコールド岩のことだと気づくのは用意ではなかったと思われる。つまりは、広く周知させるという配慮が決定的に欠如していたといってよい。

と、あまり意味のない説明をつけて日本による竹島編入にまるで瑕疵が有ったかのようなミスリード、ならび海軍省公表記事の訂正後に始めて(新)竹島がリアンコールド岩であることを公表したことが編入に瑕疵が有るかのような印象操作を行っているが、それは間違っている。
そもそも、どの島を編入したかを示すのに、緯度経度による表記でこれは具体的に特定できるので問題はない。海図を見て、緯度経度をたどれば、それが海図に記載されたリアンコールド岩であることを、山陽新聞も地学雑誌も具体的に、「二島より成る島」 と具体的なイメージを作っているからで有る。

「隠岐の新島」
隠岐の新島 北緯37度9分3秒、東経131度55分、隠岐島を距る西北85浬にある島嶼を竹島と称し、自今、隠岐島司の所管と定めらると県知事より告示せり。右島嶼 は周囲15町位の二島より成る。周囲には無数の郡島散在し、海峡は船の碇泊に便利なり。草は生え居たるも樹木は無しと云う。


1905.04.15日発行の地学雑誌196号では既に緯度経度が記されている島根県告示を紹介していますから、
どの島を編入したか、具体的に判明するわけです。
明治三八年二月二二日を以て
島根県知事は同県告示第四三号に於て北緯三七度九分三
〇秒、東経一三一度五五分。隠岐国を去る西北八五浬
在る島嶼と竹島と称し爾今島根県所属隠岐島司の所管と
定めたる旨を告示したり。


該島嶼は韓国の範図に属する鬱陵島(松島)Dagelet
Islandと共に、日本海上の孤島にして、未だ何れの国に
も属せず。二島共岩石より成り其一は周囲一五町余、二
島を合して周囲一里余。島上には鳥糞常に堆積して白色
を呈し、飲料水は有れども樹木なく僅かに青草を見るの
みにして海驢頗る多く棲息せるが故、年々漁業に渡航する
もの多し。列岩附近は海底深しと雖も、其位置函館に向
つて日本海を航行する船舶の航路に当るを以て極めて危
険なりと云ふ。同列岩は西暦一八四九年佛船リアンクー
ル Liancourtの発見にかかり其称呼を船名に取りたり超
へて一八五四年露国フレガード形艦パラスPallas号は此
列岩をメナライMenalai及オリヴァツOlivutsu列岩と
名け、一八五五年英艦ホルネットHornet号は之をホル
ネット列島と名けたり(明治三二年日本水路部発行挑戦水路誌に拠る)(ア、タ、)
(資料提供:Purachaka氏)



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