独島(ドクト、日本名:竹島)と鬱陵島(ウルルンド)を明確に朝鮮の土地と表示した日本の過去の
地図が公開された。
独島愛市民文化フォーラム、ホ・ジョンファ代表(国立慶尚(キョンサン)大食品工学名誉教授)は14
日、1894年に製作された「日本朝鮮支那三国地図」を公開して「独島が大韓民国領土であること
は日本が製作して使った地図で見る時、歴史的に明らかだが日本総理まで立ち上がって独島が
日本領土だと主張するのは妄言」と指摘した。
ホ代表は「朝鮮、日本、中国三カ国を描いたこの地図には対馬など日本本土はピンク色で、独島
と鬱陵島は朝鮮と同じように淡い緑色で各々表示されている」としながら「これは当時、日本人た
ちが独島と鬱陵島を朝鮮の土地と認識していたもの」と強調した。
カラーのこの地図は1894年10月15日大阪平民社が発行したもので横64センチ、縦46センチ
の大きさや日本人によって製作されて日本人が使った地図という点で注目される。
特に日本はこれまで独島を「竹島」と表記し、竹島が独島と主張してきたが、この地図では独島は
「松島」で、鬱陵島が「竹島(チュクト)」と表記されていて目を引く。
そればかりか国の境界線を現わす国境の場合、対馬の上に描かれた国境を延長すれば独島が
日本領土に含まれるのではなく朝鮮領土に属して国境は正確に独島と隠岐の島の中間を通って
いるとホ代表は説明した。
ホ代表は「日本人たちは暇さえあれば独島を自分たちの領土と主張するが、日本人たちが製作し
て日本人が使った地図が独島を明確に朝鮮の領土に属するということを証明している」としながら
「日本国民の70%以上が独島が韓国領土であることを認識するまで、市民運動次元で知らせてい
くだろう」と話した。
ノ・ジョンヨン記者
ソース:ファイナンシャルニュース(韓国語) 日古地図「独島は朝鮮の地」
http://www.fnnews.com/view?ra=Sent1201m_View&corp=fnnews&arcid=0921956146&cDateYear=
2010&cDateMonth=04&cDateDay=14
まず、1894年、つまり明治時代において、日本では、”竹島”とは存在しないがあると思われていた竹島アルゴノート島を指し、”松島”は朝鮮の鬱陵島、つまり松島ダーシュレ島をさしていました。 現在の島根の竹島は当時、海図等においては、「リエンコルドロックス」「リアンコールド岩」などと記載でした。(日本が現在の島根の竹島を『竹島」と改称するのは1905年の話です。)
1894年に製作された「日本朝鮮支那三国地図」二記載された、
”竹島” ”松島”の位置を検証して見てみましょう。
まず最初にに、1863年の英国海軍海図があります。
ここに記載された、竹島アルゴノート島 松島ダーシュレ鬱陵島、 リアンコールド岩(後の島根竹島)
の位置を覚えておいてください。
1コマ目が2347号の原本2コマ目が輪郭だけを表示させたもの。3コマ目が、グーグルアースの輪郭を重ねたものです。日本海に書かれた三つの島のうち、左から竹島アルゴノート島、松島ダーシュレ島(鬱陵島)、そしてリアンコールド岩(現在の竹島)がある位置を確認してください。今後この地図をもとに報道に出てきた地図をPlotしてみます。
この通り、この地図の竹島は、存在しない竹島アルゴノート島であり、
この地図の松島は松島ダーシュレ島、つまり鬱陵島であることがわかります。
国境は正確に独島と隠岐の島の中間を通って いるとホ代表は説明した。
と述べていますが、これ、拡大してみて見ますと、これはVladivostokと長崎を結ぶ「海底電信線」と地図にはっきりと書いてあります。ホ氏はこれを、「国境線」であると歪曲を主張していますね。
さらに、この海底電新線の通過位置から、この地図の「松島」が鬱陵島であり、島根の竹島ではないことをさらに補強してくれる材料になります。
「明治三十七八年海戦史 第四部 巻四」
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/mosd-chiyoda496/09x.jpg
このように、韓国人の民族主義者はすぐに資料を確認すればわかることを、平気で嘘をつくので信用できません。