鬱陵島視察を終えて、再び海東地図を検証する
この地図は、鬱陵島捜討官の製作した地図で有るかどうか、確証はないのだが、
書いてある地名などの表記が少し詳しい為、一応検討するに値する地図である。
北部
岩大 おそらく、老人峯か錐峯であるとおもわれる。
ここに川が上流から来た二つの川が一本になって流れてくる。 玄圃
上流に「有塔寺刹基祉」
天底仇尾
孔巖 象岩のことの可能性が高いが、何故か陸に記載
大鎖石 おそらく錐山の可能性が有る。
基址二.三処
小鎖石
竹田
川
自中峯二十余里
遊仙臺- 竹岩
遊仙臺と三仙岩の間に、川が有る。- おそらく竹岩や天府ふきんか?
双布岩- 今日の三仙岩の兄弟岩
牛角岩- 今日の三仙岩の牛角岩
この地図に於いて、双布岩と牛角岩の位置がひっくり返っているが、理由は不明。
苧田洞可居 沙工浦
有石城門基祉- 『石城門』と書かれていることを名考えると、これは、羅里へと通じる門城(紅門街)の辺りの事ではないか? つまりこの辺りは現在の苧田ではなく、竹岩や天府洞付近で有る可能性が有る。
刻石立札 倭船倉可居
竹田
川・中上流で二つに分かれる -現在の内守田付近の川
この川の正面付近が、所謂于山島 つまり竹嶼
立岩刻標 - 今日の燭立岩(Chodate)か、北芋岩(Bukbawi)のどちらか、判らず
道荘邱尾 竹田 基祉三.四処
石葬十余処
中峯付近まで続く長い川 芋田の川か?
基址三.四処
窟ーーーここが、芋洞と道洞のあいだにある杏南の沿岸沿いの海蝕洞窟群の可能性
竹田
自中峯三十余里---この辺り、谷間の洋で有るのうえ、東部に海蝕洞窟群を示す窟臥有ることを考えると、道洞か?
船舶可居 道洞か?
北西部から、反時計回りに、南部を見る
石葬二十余処
朱土窟 今日の臺霞の黄土窟
基祉三.四処 おそらく臺霞洞
川ー上流に大川流出 臺霞川の上流、伏虎瀑のことか?
黄窟 小黄土邱尾のことか?
岩の絵 屏風岩のことか?
川
南部
船舶可居
石葬十余処。基祉六.七処 竹田と書かれている一体。
おそらくこの辺りは南陽洞
朱土窟は、パンフに書かれている可支窟のことか(水層洞の可支窟とは別のもの)
其の東に書かれた朱土邱尾は、恐らくは通九味のことであろうか?
其の背後に書かれた断崖絶壁の山が何らかのヒントと思われる。