05.「明治政府の公文書、現竹島と鬱陵島が韓国領土であることを確認」というのは歪曲

1874年4月 竹島・松島、朝鮮付属に相成(あいな)り候(そうろう)始末」 外務省出仕の佐田白芽
竹島 松島 朝鮮附属ニ相成候始末   此儀ハ 松島ハ竹島ノ隣島ニシテ 松島ノ儀ニ付是迄掲載セシ書留モ無之 竹島ノ儀ニ付テハ元禄度後ハ暫クノ間 朝鮮ヨリ居留ノ為差遣シ置候処  当時ハ以前ノ如ク無人ト相成  竹木又ハ竹ヨリ太キ葭ヲ産シ 人參等自然ニ生シ 其餘漁産モ相應ニ有之趣相聞ヘ候事   外務省出仕 佐田白芽  森山茂  斎藤栄


明治政府の朝鮮国交際始末内探書に、1.對州朝鮮交際取調書/14 竹島一件と言うものがある。
http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/listPhoto?IS_STYLE=default&ID=M2006092114010580150&
対馬藩で”竹島”と”松島”の事を内偵しているが、この文書の中には、竹島(江戸時代の鬱陵島)の話が記載されているが現竹島の記述がない。
 此の当時、既に政府や公的機関は鬱陵島を"松島"と呼んでおり、存在しないが存在が信じられていたArgonaut島を”竹島”と呼んでいる。 一方、山陰の住民などは鬱陵島を”竹嶋”とよんでいたり、政府同様"松島”とよんでいたり、様々だった。
鬱陵島を”竹嶋”と呼んでいることは、長赤水の系統の地図や1861年 の佐藤政養の(官許)「新刊輿地全図」、松浦武四郎の『竹島雑誌』などに見られるが、
一方、鬱陵島を松島と呼んでいる事は、1869年二月には日本人が鬱陵島に「大日本國松島槻谷 明治二年二月十三日 岩崎忠照建之」の碑文をたてていたり、此の頃の日本の地図、1867年の.「大日本沿海略図」製作:勝海舟や、1870.(官許)「大日本四神全図」 製作:橋本玉蘭などの地図に見られるとおり、1863年のイギリス海軍水路部のChina pilotなどの西洋の地理情報を反映した近代的な地図に竹島がArgonaut島松島がDagelet鬱陵島と記載されている事からもそれがわかる。また、現竹島は地図においてはリアンコールド巌と記載されている。 

また、佐田の製作した朝鮮半島の地図には、鬱陵島とその南西そばに小さな一島の小島が記載され、この島が通常朝鮮の地図においては于山島と記載されているが、佐田が認識していた”松島”はこの于山島ではなかったのは地圖をみれば一目瞭然である。

しかしながら、この”竹島””松島””アルゴノート””ダージュレ”を巡る混乱は、1880年の戦艦天城の測量まで続く事になる。


Comments