たまに、このようなコピペをネット上で見ることがあります。 例えば、以下のようなもの よく、某掲示板では、以下のようなコピペが貼ってあるのをよく見かける。 19世紀末、朝鮮政府が欝陵島の開発に着手すると、于山島への認識はより正確になった。その 時点の朝鮮側の認識を示すものが、図1に掲げた大韓帝国学部編「大韓輿地図」(1899年 奎章閣所 蔵)であり、古地図としては欝陵島と于山島がほぼ正しい位置関係に画がかれている(注5)。 (注5)堀和生「1905年 日本の竹島領土編入」『朝鮮史研究会論文集』第24号,1987,P100 堀和生氏も于山を竹島=独島とみているようです。古地図の読み方は見る人によりさまざまです。
このように位置や形状などが不正確な古地図は万人の共通理解を得られないだけに、国際司法裁判所
において証拠とはなり得ないという荒木氏の指摘はもっともです。
結局、韓国の官製地図において于山島の記述はあいまいなままであり、証拠になる得る近代的な
公的地図は存在しないようです。なお、有名な「大東輿地図」は民間人である金正浩が作成したとい
われているので、その地図から国家の意志を読み取ることはできません。
結論として、韓国には舩杉氏がいうように「国際裁判において証拠となる地図が1枚もない」と
いえるのに対し、日本は竹島=独島の領有を否定する公的な地図のみが数多く存在します。しかも、
それらは国際司法裁判所にて日本の歴史的な竹島=独島領有を否定する有力な証拠になりそうです。 どうやら、この引用者は、半月城通信であるそうだ。 http://www.han.org/a/half-moon/hm129.html 見る人によって様々ですか。まあ、古地図をどれだけ綿密に調査・検討しているかでたしかに見解は様々だと思います。京大の堀和生氏はどうやら杜撰な古地図研究によりこの大韓輿地図を見ているようです。それではこの大韓輿地図や朝鮮地圖、大韓地誌の付属圖など、19世紀末期に製作された地図などを見てみましょう。 これらは、例の韓国側の歪曲プロパガンダファイルの説明にもこれら「于山」が「獨島(ママ)」であると説明がなされているのですが、本当でしょうか?では、その形状・位置・特徴などを検証してみましょう。 検証結果は以下の通りになる。つまりこれら地図における于山は現竹島ではなくて、竹嶼である事が判定される。
これらの鬱陵島の形状は、江原道圖、および朝鮮半島全体圖に記載されていて、詳細図ではないが、・鬱陵島調査詳細図から外環を引き写して島内の描写を簡略化した地図であると考えるのが妥当です。この地図に年代とデザインが近いものは二つのものが考えられる。 1.1880-1890年代の地圖 江原道と鬱陵島圖。此の地図のデザインは角型の鬱陵島地圖を踏襲しているが、 この地図の特徴である、最も著者な付属島である于山島=竹嶼と、南に付属の5島が記載されている。(皇城新聞の「于山島竹島」とは一体何か?)を参照のこと。) 一連の朝鮮地図江原道圖・大韓輿地図、大韓地誌江原道圖ならびに大韓全図の大韓全図などとデザインが似ていて、比較的時代が近いものに関しては、 ・1895.12月20日の、輿載撮要.江原道(韓国中央図書館古朝60-20)がある。(下記地図左もしくは上)この地図は、1884-1888 19C中旬[憲宗-高宗初(1835-1894)頃 作成の『地圖』 三陟圖 江原道圖+鬱陵島 高麗大学図書館 (下記地図右、もしくは下)所蔵のものとデザインがほぼ同じものである。 これら、圖の特徴は、角型の鬱陵島地図以前の鬱陵島ずである円型の鬱陵島地図にさかのぼり、最終的には1711年の朴錫易などの朝鮮王朝鬱陵島調査員の鬱陵島詳細図に突き当たる。つまり、、最も著者な付属島である于山島=竹嶼と、南に付属の5島が記載されている。鬱陵島詳細図の認識を踏襲したものである。 この朝鮮半島図全体図、また、江原道図に記載された、鬱陵島+北東の位置に南北に長細い于山島+南の五島 このデザインは、そもそも1711年、朝鮮王朝の鬱陵島調査員朴錫易が鬱陵島で調査して作成した地図の系譜の地図となる。 ・1694年以降の朝鮮王朝の鬱陵島捜討官の製作した鬱陵島詳細図 ・円型の鬱陵島圖形 ・角型の鬱陵島地圖 ・金正浩の地圖 ・楕円形鬱陵島地圖 ・朝鮮の地圖における鬱陵島と于山島(全地図リスト) 1711年 朴錫昌 鬱陵島圖形 奎章閣所蔵 地図の地名と位置を検討 ![]() つまり、この地図の于山島は、海長竹が生えている、于山島即ち島嶼を示しており、南東200余里以上先にある2つの小さな岩島である竹島を示したものではない。 また、この于山は朴錫易に代表される調査員の地図に記載されているように、その鬱陵島の範囲は東西80里南北50里以内にある島、つまり竹嶼であり現竹島ではない。(朝鮮の認識していた鬱陵島の範囲を参照のこと)-地図においても、鬱陵島が東西80里、南北50里の範囲に記載されている。もし、朝鮮が現竹島を領土と認識していた場合、1694年の張漢相がみた、南東に200輿里にある島を記載するはずだが、その位置には何も記載されていないのであった。 これらから考えると、この大韓輿地図に記載した「于山」が竹島でなく、竹嶼であることは明白であり、堀氏の主張は大変杜撰なものである。 一応、おさらいのために:竹嶼とは、何か? ![]() 京大堀先生の珍説が以下にずさんであるかは、おそらくは幼稚園児でもわかると思います。 私は以前韓国人にこれに似た比較図を提示したところ、韓国人学者が大嘘をついていることを韓国人に理解させることができております。 以下は薮太郎氏作成のうさんとう検証動画です。京大堀先生や、その論文を引用して検証責任を回避している半月城が如何にに恥ずかしい文章を書いていたか、よくわかると思います。 韓国側は、これら鬱陵島詳細図をひたすら隠すし、とうぜん半月城氏もこの地図について、韓国側から話を聞いているはずである。それでも、このようなごまかしを主張するような、卑劣な人間であるのです。 ![]() 鬱陵島北東部一帯 もし、京都大学の堀教授や、そのゼミ生や聴講生がいるのであれば、堀教授にぜひ申し伝えていただきたい。 http://jglobal.jst.go.jp/public/20090422/200901074748601017 あなたの空間把握能力は、幼稚園児以下ですね、と。 |
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