独島、日本外務省のごり押し主張と反論
キム・ジャンフン ミニ・ホームページ
翻訳の引用:
独島、日本外務省のごり押し主張と反論
キム・ジャンフン ミニ・ホームページ
2011.04.13
http://minihp.cyworld.com/pims/main/pims_main.asp?tid=48697184
(中央の大きなウインドウの右側に付いている青いタブの上から6番目が掲示板。その252 2011/4/13)
ちょっと長いけれども、必ずよく見て、拡散してくださることを懇懇とお願いいたします。本当に膝まづいてお願いいたします。
日本の外務省が主張する独島が竹島という主張と保坂教授を含めた我が学者たちの研究を基礎として整理した私たちの反論です。日本外務省の主張はそのままファイルで訳しておいたから必ず見て、今日から事案別に一つずつ反論資料を整理してアップします。
一度にあまりにも多くアップすると集中力が落ちるだろうから、今日から一つずつ上げる資料を必ず覚えて、各々の資料を捜して勉強もして、続けて見てもらって伝導もしてくださって、周りの人たちに認知させてくださることをお願いいたします。
こういうふうに論理的に武装することが、私たちが独島問題を根本的に解決するための一番穏やかで賢くて力強い方法です。歴史的に、国際法的に、条約的 に、情況的に、あらゆる論理的に、必ず私たちが勝ちます。日本外務省の主張を見れば、私たちの外交通商部の主張に比べて、第三者が見る時はかなり尤もらし く見えるようにごり押しを書いてあります。我が外交通商部の説明の大幅改訂が急務です。本当に急務です。
今日アップしたのは、まず、日本側主張の1番について整理したものです。
日本側主張 1番
日本は昔から竹島の存在を認識していました。
しかし、独島を日本領土から除外した日本地図がいくつも発見されている。日本の地図は、1905年まで一度も独島を日本の領土として描いたものがない。
次に紹介する各地図の原本、複写本、日本側の公式出版物に描かれた地図、その多くを、個人や研究所、韓国国土海洋部など韓国側でも所蔵している。
日本が直接、間接的に独島を朝鮮の地と認めた日本の公式地図
1) 行基図(8世紀から16世紀までの日本の公式全図)
2) 官撰慶長日本図(1610)日本江戸幕府の最初の公式全図
3) 官撰正保日本図(1648)日本江戸幕府の二つめの公式全図
4) 官撰元禄日本図(1702)日本江戸幕府の三番目の公式全図
(上の4種の地図の出処:日本古地図大成 1972)
次に述べる5番目の地図が日本側が外務省サイトで例示している地図なので、最も重要なようです。
5) 改正日本輿地路程全図(1779)
公式地図ではないが江戸幕府の許可を受けた官許地図。この地図の特徴は、鬱陵島と独島がそれぞれ竹島と松島と表記されているという点だ。しかし、二つの 島は日本の領土として描かれたのではない。二島は、釜山周辺だけ描かれた朝鮮と同じ無色で描かれた。そして、二島が日本領土の外に位置する島だという表示 として、日本領土上に引かれた経緯度線が二島には引かれていない。さらに、独島が日本領土外の島であって結局朝鮮の領土であることを確認した「隠州視聴合 紀」(1667)の文句が二島のそばに書かれていて、鬱陵島と独島が朝鮮付属であることを示している。
(出処:日本国土地理院所蔵)
ところで、日本はこの地図を独島が竹島という例証として出していて、互いに意見がぶつかるのだが、日本外務省の主張をよく見れば、「長久保赤水の改正 日本輿地路程全図 (1779年初版)のほかにも多数の地図が存在する。」と簡単に説明しているが、なぜ我々の側主張と一つの地図でぶつかるかというと、その下に証拠資料と して挙げた改正日本輿地路程全図は1846年の地図なので、1779年の初版原本から歪曲された地図だ。これが日本のトリックなのだ。私たちは、日本で製 作された原本に即して常識的に主張するのだ。
それでは、他の版を見てみましょう。
1775.日本輿地路程全圖 : 改正 神戸大学・住田文庫蔵ー竹島松島が日本表記ですね。
1779.改正日本興地路程全図 University of Calfornia barkley/David ramsey ー竹島松島が日本表記ですね。
というわけで、この件に関して、まんざら日本外務省は日本輿地路程全図に関しては特に歪曲しているわけではないのですが、キムジャンフンは反日ファシストキチガイで有名ですから、何が何でも「日本は歪曲」にしたいのでしょう。
*着色有り無しについては、小さな離島には着色が無いことは結構あります。
6) 三国接壌地図(1785)林子平製作、1854年に公式地図に昇格。この地図は、東海中に独島と鬱陵島が記載されていて、二つの島のそばに朝鮮の所有と明記されている。
A:この林子平の三国接壌図ですが、現在の島根の竹島、つまり「江戸時代の松島」の記載はありません。此処に記載してある「竹嶋」とは当然江戸時代の鬱陵島のことであり、この右上には無名の細長い一島が記載されています。林子平はこの地図を長崎の通詞が所持している朝鮮図から引きつつ下ことがわかっております。つまり朝鮮図の「ウサン島」を書いた可能性が高いのですが、この島は、島根の竹嶋ではなく、鬱陵島の竹嶼と考えられます。
*3.「日本古文献と日本古地図,現竹島を韓国領土と記録」というのは歪曲→林子平の地図の北東に記載された名無しの島が竹島である根拠はない。
7) 大日本沿海輿地全図(1821)
江戸幕府の事業として作成されたこの地図は、約20年にわたって日本領土全体を初めて実測した地図。しかし、独島を完全に除外している。
(出処:「伊能図」2001)
除外しているというよりは、調査に行っていない為に書いていないと考えられます。
8) 竹島方角図(1833)
浜田藩(現在の島根県の一部)の商人八右衛門が渡海が禁止されている鬱陵島に渡ったために逮捕された。浜田藩が八右衛門を審問する過程で書かれた地図 が竹島方角図だ。この地図には鬱陵島と独島が朝鮮と同じ色である赤色で彩色されていて、独島が朝鮮の領土であることを証明している。この地図は八右衛門個 人が描いたものと見られるが、浜田藩の審問の過程で使われた公式地図であり、鬱陵島、独島の取り扱いについて何の異議もなかった。すなわち、日本の地方官 庁が独島が朝鮮領であることを認めた公式地図だ。
(東京大学総合図書館所蔵、KBS歴史追跡チーム)
9) 大日本全図(1877)
日本陸軍参謀局製作の公式地図。独島を完全に除外。(日本国会図書館所蔵)
10) 大日本国全図(1883、改訂2版)
日本内務省地理局製作の公式地図。独島を完全に除外。(日本国会図書館1880年度版所蔵)
11) 日本公式地図集(1894)
日本陸地測量部 (内務省地理局と陸軍参謀局を合わせて作った地図製作の公式国家機関。1945年以後は日本国土地理院となる。)が製作した日本領土詳細図。日本は約 150の区域に分けられ、区域ごとに詳細な地図を製作して約150枚にのぼる地域別地図を一冊の地図集に集めたもの。独島より小さな岩礁まで表示している が、独島は完全に測量対象から除外された。
これら以外にも、もっと発見された重要な資料は多いが、このくらいにします。今後、日本側がまた他の歪曲を試みる時にさらに提出しても良いでしょう。
今後、日本側の10の核心主張に対してすべて論理的に、史料的に反論をするつもりだが、知れば知るほど、日本側は実に歪曲をしてごり押しを使っている という気がします。歴史、領域、そして原発問題から汚染水の隠密放出まで、今見える幾多の歪曲。歪曲することが日本政府の得意ではないかと思います。だか ら、論理的武装と配布が最優先だと思うのです。勝ち抜けましょう、大韓民国!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
これ以外にも、地図はたくさんあり、島根の竹嶋の表記は地図によってよりきりで、表記のあるもの、無いもの、着色のあるもの、無いものと色とりどりです。まあ、日本の地図に書かれていないからといって、それがすぐに朝鮮領土であるとの証拠にはなりません。
朝鮮領土であったことを証明するには、朝鮮側の文献で、島根の竹島に実効支配していた明確な記録が書いてあるものではないと意味がありません。一方朝鮮製の地図に関して言えば、朝鮮王朝は、島根の竹島の地図を作成しておりません。たいてい韓国が主張するウサン島が現在の竹島を表していないどころか、鬱陵島北東部にある全く別の島、竹嶼を示しています。
・1694年以降の朝鮮王朝の鬱陵島捜討官の製作した鬱陵島詳細図
・朝鮮の地圖における鬱陵島と于山島Maplist
特に最近はインターネットん進歩により次から次へと日本側から新史料が出てきているわけですが、同時に江戸時代から実効支配をしていたことを否定するような地図・文献があることも確かです。
まあ、確かに日本外務省のページはおそらくは1950年当事からの研究内容からあまり内容を吟味していないようにも思えます。外務省の
日本側主張 1番
日本は昔から竹島の存在を認識していました。
ですが、確かに日本人は昔、松島(島根の竹島)が二つの小さな島であることを認識して、そこで鬱陵島へ行く途中で急速ならびに漁をして利用はしていたのですが、1694年の竹嶋事件(鬱陵島における日本人と朝鮮人の接触)以来、竹嶋(鬱陵島)は渡航しなくなり、今までそのついでに立ち寄っていた松島(現在の島根の竹嶋)にもあまりいかなくなったと考えられます。 日本が明確に島根の竹嶋である「リアンコールド岩」を編入するのが1905年ですから、それ以前の地図に島根の竹島の記載が無いことはまあ当然といえば当然です。
しかしながら、キムジャンフンは、朝鮮王朝が、島根の竹嶋を実効支配していた明確な証拠を提示できていません。