1880年の戦艦天城の鬱陵島調査にて、Dagelet島である鬱陵島松島と、Boussole Rockである竹島竹嶼が確認され、これら結果報告を許に、外務省の記録係北沢正誠が「一名竹島一名松島朝鮮鬱陵島」と結論付けた。これが恐らくは竹島外一島と関わりがあると考えられる。官の地図においても、この1880年の鬱陵島測量以前と以降の地図では、認識が変化するのでその変化を列挙してみる。
この変化だが、、戦艦天城の鬱陵島調査前は官的な地図においては、
1.于山島がほぼ消える。日本側の持つ地圖における「于山島」は鬱陵島の西にあったり、南西にあったり、北西にあったり、東にあったり、その位置、大きさが各圖でばらばらで、存在不明の島とみなされても仕方の無いような存在だが、これが1880年以降ほぼ消える。 そして文書においては「朝鮮鬱陵島一名竹島一名松島」の一島三名の記述が始まり、更に、松島=竹島=鬱陵島=于山国という認識が日本・朝鮮で共有される。
2.それまで、松島はDagelet島であるという認識があったが、これが鬱陵島であることがはっきりとし、地図において、松島=朝鮮鬱陵島と認識になる。特に「朝鮮」蔚陵島が強調される。
3.竹島Argonaut島がほぼ消える。存在が疑わしいとされてきた竹島Argonautは、日本側は、この島を鬱陵島と思い込んでいた感がある。しかし西洋の地図においては存在疑わしいとして、点線で記載されてきたが、これも大体消えてくる。 *ただ、民間製作の地圖等においては、相変わらず竹島アルゴノート島、松島鬱陵島を記載し続けるものは結構多いが、それば別項で説明する。
尚、略号のうち、【 】ないは、形状・位置から、判断できる島名を記載した。【AL】はアルゴノート島を指し、 【UL】は明らかにDagalet場合に記載した。(朝鮮圖における鬱陵島、および1880年以降Dageletが松島鬱陵島とわかった後)、 【DG】はDagelet島(松島が鬱陵島とわかる前)を指し、【LR】は現竹島/Liancourt Rocksを指す。
(竹島)は消えかかったArgonaut島の表示を注す
他、こちらも参考されたし。