日本の地圖における于山島


朝鮮の鬱陵島本格調査以前の于山島は、鬱陵島の別名、またはその傍らにあるという小島の事を指し、一島二名のことなのか二名なのか、明確に認識されていなかったものが、1694年の鬱陵島本格調査以降、于山島は鬱陵島の傍、北東部2Km沖にある竹嶼という島と認識されるようになる。1860年以降、再び一島二名説が復興し始める。

一方、日本には朝鮮の地圖が入ってきており、模写されたり翻訳されたものが残っているが、それらにおける"于山島”はどのように記載されたのかを確認してみる。
基本的に、于山島の表記は、
1.Broughton Ba附近に、千山島と記載されて亜朝鮮渡海之圖を基にしたもの
2.蔚珍沖にTchainchantao,Fanglingtaoと記載された西洋の地圖情報を基にしたもの
3.朝鮮から来た地圖で西にあったり東にあったり、南西にあったり場所が一致しないもの
この三つに大別される。

このように、日本側が持っていた朝鮮半島の地圖において、于山島はそれぞれ別の場所にかかれているため、正体不明 の島であったが、1880年の軍艦天城の鬱陵島調査で、鬱陵島松島と、その北東Boussole Rock竹嶼を確認した、基本的にはそれ以降の官的地圖上では于山島の表記は消滅する。


1402.(1605-1767)混一疆理歴代國都之圖 本光寺蔵

(未確認につき確認必要)
1539.1630.皇明輿地之圖 国立公文書館蔵 
(未確認につき確認必要)
1549.-1568大明國圖 天理大学図書館
(未確認につき確認必要)
1560.c.a.混一歴代國都疆理之圖 宮内庁書陵部
(未確認につき確認必要) 画像が小さく見えないが下記の写本には二島が書いてあるので同じかもしれない。
1560.c.a.(1910紺写本?)一歴代國都疆理之圖 京都大学文学部地理学教室蔵
(未確認につき確認必要) 蔚陵島と、その西に亐山島が記載される(宮内庁書陵部の写本)
1549-.1593.-1605-1735←暫定 大明國総圖 本妙寺
蔚陵島は書かれているが、その東に空欄がある。ただ、空欄は地図の中に多数存在。
大地の肖像  絵図、地図が語る世界 京都大学出版会
加藤清正が、豊臣秀吉より賜ったといわれるが、
1593年に記された宣祖実録によると、「加藤清正に降伏した朝鮮官僚の息子が中国と韓国の地図の複写を提供した」との記録があり、これが本妙寺の地図である可能性がある。


1592.朝鮮国地理図 九鬼嘉隆など (現存するのは1872年の写本)
鬱陵島とその西に于山島が記載される。


1594頃.文禄・慶長の役朝鮮圖 高麗川上将監川上久国が朝鮮にて作図の父久辰製作
 鬱陵島とその西に于山島が同じ大きさで記載


 1720.輿地圖 / (原目氏)熊澤貞清
鬱陵島(于山国-弓高)らしき島が記載


 1735.朝鮮物語 第五巻 朝鮮渡海の圖2l
名前の無い島嶼がBroughton Bay附近に描かれ、 (朝鮮渡海之圖系統)
また、江原道附近にも、名前が無いが、恐らくは西洋の地圖におけるFanlintao(鬱陵島)と思われる名無しの島が記載され、その南西に小さくTchainchantao(千山島)と思われる名無しの島が記載される描かれる。


年代不明 朝鮮国全圖 東北大狩野
http://www2.library.tohoku.ac.jp/kano/kochizu/CJN09313001/CJN09313001-P1.html
鬱陵島=于山国=弓高が記載。一島。

年代不明 朝鮮国圖 東北大狩野
http://www2.library.tohoku.ac.jp/kano/kochizu/CJN09314001/CJN09314001-P1.html
鬱陵島=于山国=弓高が記載。一島。


1742 朝鮮八道総図 松原正英写 58絵図 萩藩当職山内広通と浜崎代官清水親全の命により描いた彩色図 22-1
(From Dokdo or takeshima , matsu)
1東国輿地勝覧から文を引き写しているいること
2東行  歩など、大きさが記載されている。
2于山島が西にある
3蔚珍から、”鬱陵島が見える”と書いてある事
が重要だと思います。


1742 朝鮮八道総図 松原正英写 58絵図 萩藩当職山内広通と浜崎代官清水親全の命により描いた彩色図22-2
(From Dokdo or takeshima , matsu)

t説明
隠岐部分に、以下の記載あり
「此湊ヨリ天気定竹嶌エ乗ル 凡百五十里余有之ト云」

鬱陵島部分に、以下の記載あり。
「元禄六年伯耆国磯竹源左衛門ト云者竹島ヲ見出シ申之由是ヨリ伯耆出雲因幡之猟人参猟仕候所ニ其節朝鮮人も参双方論シ依之江戸御注進相成候所ニ対馬より朝鮮えも段々被取遣り有之終ニ朝鮮之鬱陵島ニ相決シ候事」

"隠岐諸島と鬱陵島の間の海域の描き方に明確な違いが認められる。まず、共通点から確認する。日本側の地域では、海路を現わす赤い線が多 くひかれているが、「総図」「全図」ともに「宇龍」から島前、「ミオ」(美穂関)から島後に二本の線がひかれている。朝鮮側の地域では赤い線はほとんど陸 路を現しており、海路では対馬島と「釜山浦」を結ぶ線と、この「蔚珍浦」から「于山島」を経由して鬱陵島の西側まで引かれている線しかない。この例外的な 表現から推定すると、朝鮮半島から延びる日本の赤い線は、この地図作成時に追加されたのではないだろうか。地図製作者の海路に関する関心の高さを表すもの であろう。
「全図」になると、さらに海路への深い関心が表現される。隠岐の島後と鬱陵島の東側も赤い線で結んでしまうのである。隠岐諸島から鬱陵島への漁民が頻繁に出漁などこの海域における人々の活動が地図の中で視覚化されたということである。"

鬱陵島の南西に小さく于山島が記載
蔚珍-于山島-鬱陵島-隠岐の水路線


? 朝鮮国之図 58絵図23
http://ymonjo.ysn21.jp/show/sh_ref_data.asp?refno=58%8AG%90}23
「長井半左衛門組九郎右衛門より差出候写也」とある彩色図
不明


1748.朝鮮京都日本大阪西国海邊航路之図 尾陽片岡
鬱陵島とその南東に大きい于山島


1784.朝鮮八道之図 天明5年 須原市兵衛 林子平圖が原型
1785.三国通覧図説付圖-朝鮮八道之図 林子平
鬱陵島于山国弓高鬱陵島部分に描かれる (林子平圖系統)
1783.三國通覧写図 (三国通蘭図説の付図(全体図))
鬱陵島(=于山国=弓高)らしき島が記載
竹島(鬱陵島)の北東に、南北に長細い島、恐らく于山島と思われる島が書かれているが、
これを日本側がこの島を于山島と認識していたまでは断定ができない。


年代不明 三韓全図 岡山博物館池田家文庫
http://www.lib.okayama-u.ac.jp/zooma/img/T10-32/
鬱陵嶼于山國 弓祟の記載

年代不明 對陽官蔵写 朝鮮地図1 岡山博物館池田家文庫
http://www.lib.okayama-u.ac.jp/zooma/img/T10-33/
年代不明 對陽官蔵写 朝鮮地図2 岡山博物館池田家文庫
http://www.lib.okayama-u.ac.jp/zooma/img/T10-34/
1.2共に鬱陵島于山國の北西に、名無しの長細い付属島が記載(于山島か?)されている。


1796.日本並北方図 /[本多利明
 幕命 
http://servi.lib.meiji.ac.jp:9001/StyleServer/calcrgn?cat=Ashida&item=/004/004-089-00-00.sid&wid=950&hei=700&lang=en&style=simple/ashida_view.xsl&applet=true&plugin=false&browser=win_ie
鬱陵島=
山島が鬱陵島部分に描かれる(林子平圖系統)


1804.辺要分界図考 文化元年(筆写年代不明)日本・高麗図 近藤重蔵
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/henyou/henyou/henyou1/1-29.html
江原道の沖に
ハンリントウ(鬱陵島)が描かれ、ランカントウは若干小さく鬱陵島の西南に描かれる。(西洋地圖系統)


1804.「朝鮮八道之図」「三国通覧図説附図 重鐫日本輿地全図」文化元年(1804)
http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04_01/takeshima04d.data/5-5-2-01.pdf
鬱陵島=于山=弓高が鬱陵島部分に描かれる(林子平圖系統)(朝鮮渡海之圖系統)


1806.朝鮮世表全図 田仲宣:, 長田愚侯:  森本太助, 文化3(1806)
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/directory/sumita/5C-101/basic/5C-101.html
鬱陵島=于山=弓高 (林子平圖系統)


1809.
日本邊海略図 天文方 高橋景保
鬱陵島が、Broughton Bayに描かれ、于山島もその鬱陵島の南西に描かれる(朝鮮渡海之圖系統
+西洋地圖系統)
http://www.lib.meiji.ac.jp/perl/exhibit/ex_search_detail?detail_sea_param=4,84,2,b


1809.
國一覽圖;萬國一覽圖 (書題簽) / 文化六年己巳夏六月 備中倉鋪 古屋野意春元鄰製;香山樓社中藏版
http://www.lib.meiji.ac.jp/perl/exhibit/ex_search_detail?detail_sea_param=4,94,0,a
弓高島イソタケが鬱陵島部分に描かれる。(林子平圖系統)


1810. 輿地全圖(元題簽) / 詠歸齋主人校修;江都 彫工 江川八左衛門
http://www.lib.meiji.ac.jp/perl/ashida/search_detail?detail_sea_param=loc,4,12,0
Broughton bayの附近に諸島がかかれる。
江原道附近に、名前が無いが、恐らくは西洋の地圖とFanlintao(鬱陵島)と思われる名無しの島が記載され、その南西に
小さくTchainchantao(千山島)と思われる名無しの島が記載される


1816.
大日本接壌三国之全図  其由堂
http://gazo.library.city.sapporo.jp/shiryouInfo/shiryouInfo.php?listId=69&recId=1060
鬱陵島=于山=弓高が鬱陵島部分に記載される (林子平圖系統)


1853.萬国地球全図、大日本輿地図略 東都 鈴亭谷義蔵版 1853 嘉永6
http://www.toshiken.info/nihonkai.file/0296.jpg 日本圖
(日本圖はリンクがあるが、朝鮮圖のリンク捜索中)
鬱陵島らしき島と、その南に于山島らしき名無しの島が黄色、朝鮮色に



1854.朝鮮征伐記 金幸堂 - 菊池藏板
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2008/08/1854-diary-of-conquest-of-joseon.html
Broughton Bay附近に
千山島が描かれる(朝鮮渡海之圖系統)
一方、名無しの島だが、鬱陵島とその南西に于山島と思われる名無しの島が江原道に記載される



1854.大日本沿海要境全図  津軽藩地理学者 工藤 東平/[編] 和泉屋善兵衛 嘉永7(1854)
http://www.lib.meiji.ac.jp/perl/exhibit/ex_search_detail?detail_sea_param=9,8,0,a
鬱陵島が記載される   鬱陵島とは別に竹島松島が記載。


1863.「改正増補江戸大節用海内蔵』朝鮮国図 文久31863
鬱陵島と、その北西に同じような大きさで子山島が記載される (朝鮮地圖系統?)
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2008/07/1600s-map-of-joseon.html


1871.(
官許)日本與地全圖;(増補改定)日本輿地全圖 (附朝鮮國全圖)(元題簽) / 翠堂中島彭編述;東京銅鐫師 楊堂木村胤鐵筆
http://www.lib.meiji.ac.jp/perl/ashida/search_detail?detail_sea_param=years,9,155,0
朝鮮圖には鬱陵島とその南に小さく于山島があり、「日本は竹島という」
日本圖には竹島
竹島一伝磯竹島 「見高麗雲州望隠州」 松島がある。(朝鮮地圖系統)


1872.「朝鮮国地理図()」:明治5(1872)写【178-692 九鬼嘉隆など
http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04_01/takeshima04d.html
鬱陵島の西に同じような大きさで于山島が記載 (朝鮮の地圖模写?)


1873.「朝鮮全図」 海軍水路寮 明治6
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/chosenzenzu-1873/
鬱島と、その西に、鬱陵島より大きな亐山島カイサン島が記載 (朝鮮地圖系統)


1874.
(官許)「五畿八道朝鮮細見全図出」
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/directory/sumita/5C-270/basic/5C-270.html
鬱陵島の西に、若干小さく西の傍ら山島が記載。


1874清十八省輿地全図 津田静一
鬱陵島と、その南西に、同じ大きさで于山島が記載

1874.朝鮮國全圖 : 附臺灣全島之圖
林子平 著 田島象次郎 増補改正 
*林子平図を土台に作成
鬱陵島=于山国=弓嵩が記載。


1875『佐田白茅著 改訂新鐫朝鮮全図』(外務省)
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/kaiteishinsenchosenzenzu-1875/
名無しの島が、恐らくは鬱陵島と、その南西傍らに小さな
山島?と思われる名無しの島が記載。


1876
頃か?「朝鮮国全図」瀬脇壽人・校;金麟昇音)(ウラジオストック駐在官)
http://www.lib.meiji.ac.jp/perl/ashida/search_detail?detail_sea_param=loc,6,1,0

鬱陵島と、その西に同じような大きさで/山島カイサン島記載される。

1876.03 「朝鮮国地誌摘要」 近藤保禄 編

朝鮮八道区分図  
竹島だけ記載(位置はアルゴノート島。検証すみ)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/766894/35
江原道
島嶼
竹島 鬱陵島日本にては之を竹島ト云 
山島
*
樫原義長著朝鮮八道図を参考にしたとある。(左リンクは1876年版)
同図で、「亐山島」は蔚珍・腰松浦にある小島であり、松島(Dagelet)でも、竹島(Argonaut/誤鬱陵島)でもない。

1876.08「原板朝鮮全図之写(海左全図)陸軍大尉 
http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04_01/takeshima04d.data/5-1-1-7-02.pdf
1877.08
「原版朝鮮全国之写」 - 陸軍編纂
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/genbanchousenzenzu-1877/

ともに、鬱陵島と、その東に小さく于山が記載される。 (朝鮮の海左全図そのまま)
*なお、この地図に書かれた于山は、南側から俯瞰した竹嶼そのままの姿

このように、日本側が持っていた朝鮮半島の地圖において、于山島はそれぞれ別の場所にかかれているため、正体不明の島であったが、1880年の軍艦天城の鬱陵島調査で、鬱陵島松島と、その北東Boussole Rock竹嶼を確認した、これにより、
「朝鮮鬱陵島一名竹島一名松島」の認識が生まれ、鬱陵島松島=于山になる。基本的にはそれ以降の官的地圖上では于山島の表記は消滅する。

これは推論だが、
天城以降、官製の地図からは、竹島Argonautとこの于山島が消える事を考慮に入れると、
西洋の地図に書かれたArgonaut竹島は、日本の朝鮮図に及び西洋系日本図のArgonaut竹島の位置に書かれた「鬱陵島+/山島(この組み合わせを竹島と認識)」の山島、または、松島Dagelet島、そして江戸時代の松島すなわちリアンコールド巌、この4つの候補を朝鮮圖に書かれた于山島と誤解していたような節があるが、定かでない。


他、年月不明
三韓全図 http://www.lib.okayama-u.ac.jp/zooma/img/T10-32/
鬱陵嶼于山國 弓祟の記載

對陽官蔵写 朝鮮地図1 http://www.lib.okayama-u.ac.jp/zooma/img/T10-33/
鬱陵島于山國の北西に、名無しの長細い付属島が記載(于山島か?)されている。

對陽官蔵写 朝鮮地図2 http://www.lib.okayama-u.ac.jp/zooma/img/T10-34/
鬱陵島于山國の北西に、名無しの長細い付属島が記載(于山島か?)されている。

万国縮図 http://www.lib.okayama-u.ac.jp/zooma/img/T10-36/
此しまより隠岐?ノム 又朝鮮をも見る 朝鮮国持
名無しの島である鬱陵島と、竹島(鬱陵島形状)が記載




日本図 肥前平戸普門寺隠居大隋和尚より借用写之 http://www.lib.okayama-u.ac.jp/zooma/img/T10-35/
竹島松島の記載はないが、隠岐に、「福浦 此湊て天気を見立て竹島へのる」が記載 


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