日本側担当者の竹島問題の責任の所在は?
責任の所在について(昭和26(1951)-昭和31(1956))
内閣総理大臣吉田茂
-が海上警備隊などに竹島死守を命じなかったた責任および守備隊を常駐させなかった責任。 (すみませんが、当時に自衛権と言う概念があったのかどうかは私は知りませんのでどなたかご教示お願いします)
・ 「李承晩ライン」、韓国の李承晩大統領が52年1月19日に 「宣言」
宣言からから6日後の1952年1月25日、朝日新聞記事は李承晩ラインについての水産庁の見解
「公海自由の原則は日米加漁業協定(注:協定の調印は52年5月になったが、3国は51年11月から交渉を続けていた)でも明確に認められたところであり、これに制限を加えることは国際法上根拠のないことで、あまり問題にはなるまいと思う」
と、完全に対応を軽く見ていた政府の責任。
・昭和27(1952年)4月28日 海上警備隊の発足
-引用-
「海上における人命若しくは財産の保護又は治安の維持のため緊急の必要がある場合において、海上で必要な行動をするための機関」である(昭和27年法律第97号による改正後の海上保安庁法第25条の2)。
-引用終わり-http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E4%B8%8A%E8%AD%A6%E5%82%99%E9%9A%8A
・昭和27年(1952)年8月1日(保安庁)警備隊の発足
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AD%A6%E5%82%99%E9%9A%8A_(%E4%BF%9D%E5%AE%89%E5%BA%81)
・昭和28(1953)年2月08日 日本の民間漁船第一大邦丸が不法に韓国警備艇に拿捕され、さらに漁労長が射殺されたが、これら事件に対し、邦人保護を怠った日本政府の責任
その後も李承晩ライン内で4000人の日本人民間漁師が拉致、傷害、殺人されたにもかかわらず邦人保護を怠り、自衛権発動を行わなかった日本政府及び政府自民党の責任。
・昭和28(1953)年7月12日、海上保安部巡視船「へくら」が竹島で韓国戦から発砲される事件が生じたが、この事件にたいして自衛権発動を採らなかった日本政府の責任。
・昭和28(1953)年8月23日、海上保安部巡視船「おき」が韓国軍の銃撃を受けたのに対して、この事件に対して侵略行為と認識せず、日本政府および政府自民党がが自衛権発動を採らなかった政府の責任
・また、同時に、吉田茂首相ならびに自民党は、アメリカ軍に対して、日米安保条約の発動を要請しなかった重大な責任がある。この時期、アメリカは、日本が要請すれば、恐らく日米安保条約を当所は 発動したと思われる。しかし、その様子が無いので、アメリカは二国間関係には介入しない、と言う方針に転換してしまった。
1953.11.30 Memorandum in regard to the Liancourt Rocks (Takeshima Island) controversy
by William T. Turner
The Liancourt Rocks case appears to have aspects in common with that of Shikotan Island, off the coast of Hokkaido, which was occupied by Soviet troops in 1945. We have publicly declared our view that this Island belongs to Japan, but no one in Japan or elsewhere seriously expects us to take military action under the Security Treaty to reclaim this Island for Japan. I think we need not feel undue anxiety even in the unlikely contingency that Japan should invoke the Security Treaty with respect to the Liancourt Rocks.
・昭和29(1954)年07月01日 海上自衛隊の発足.
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E4%B8%8A%E8%87%AA%E8%A1%9B%E9%9A%8A
・昭和29(1954)年10月2日 海上保安部巡視船「おき」「ながら」が竹島調査に出向いた時、韓国側が旧陸軍の山砲を巡視船に向け攻撃体制を整えたのにたいして自衛権発動を採らなかった日本政府の責任
・昭和29(1954)年11月21日 海上保安部巡視船「へくら」「おき」は竹島哨戒中に竹島東島から韓国側から砲撃を受けたが、これに対して自衛権発動を採らなかった日本政府の責任
・重光葵外相
上に記したような韓国による「武力侵略」に対して、昭和30(1955)年3月30日、事態を楽観視してて積極的な対応をとらなかった責任
-引用-
「国際司法裁判所での解決を考えた事もあったが、日韓関係が全体として改善されれば、此の問題についても解決の道が付くのではないか、」
-引用終わり-
(「島根県竹島の新研究 田村清三朗著 P129より引用)
・小滝彬外務次官
昭和29年6月17日に韓国内務部発表「韓国沿岸警備隊は竹島を日本の侵略から守るために駐留部隊を同島に派遣した」と発表した事に対して、侵略行為であると認識しなかった事と自衛権の発動に触れなかった責任
-引用-
昭和29年6月22日
記者団に対して韓国沿岸警備隊の竹島派遣について、「事実なら示威運動としても、実力行使は侵略と同じであって、国民の憤慨の気持ちは判る。しか し、わがほうが武力解決をすることは、憲法第九条違反であるから、撤退について申し入れをし、あらゆる手段を講じてあくまで外交的解決をしたい」とわが立場を表明した。
-引用終わり-
(「島根県竹島の新研究 田村清三朗著 P124より引用)
・山田防衛庁防衛局長
昭和28(1953)年8月23日の巡視船「おき」の事件に関して、明らかに韓国の日本領土竹島に対する主権の侵害および侵略行為であるのに対して、これを不法入国として侵略行為であることと認識せず、自衛権発動に触れなかった責任。
-引用-
昭和29(1954)年9月9日の参議院外務委員会での発言で、竹島の韓国人について「現在の状況では竹島に居るのは韓国の警備員のようなもので あり、武力による不法侵略というよりも、不法入国と言うものだと思う。したがって、自衛隊の防衛出動は考慮していない」と答えている。
-引用終わり-
(「島根県竹島の新研究 田村清三朗著 P126より引用)
・木村篤太郎保安庁長官
昭和29(1954)年4月時点、政府は「まだ国際紛争というところまでは行っていない」と、明らかに国際紛争であるのに其対応をしなかった責任
・1955年08月 「韓国政府は日本との人的交流と貿易を禁止する「日韓断交」を宣布
それでも、吉田茂内閣に代わって鳩山一郎が政権の座に就いた1955年ごろから日本政府の見解がようやく「柔軟路線」から変化の兆しを見せ始めた。
鳩山首相は国会で「率直に言えば、竹島は日本の領土です。日本の領土を占領せられたのでありまするから、これは侵略と見るのが妥当で、自衛権の発動はで きるわけであります」と答弁した。重光葵外相も「理論的には今からでも竹島に対しては自衛権の行動を開始し得るというふうに考えてよろしいのですか」との 国会質問に、「理論的にはそうだと考えます」と答えた。
外務省の下田武三条約局長もまた「現在竹島に韓国の警備兵を置いておるのは明白な日本領土の侵犯であります」と述べた。自衛権発動が理論的に可能ということは、日米行政協定(日米地位協定の前身)の規定により、在日米軍の出動が可能であることを意味していた。
1957.02.25 岸信介が総理に就任、 氏のブレーンである矢次一夫
韓国に対して一連の大胆な融和策を打ち出した責任
朝鮮戦争後、ジリ貧で、日本からの莫大な資金および技術支援が無ければ韓国復興はありえなかった。
これをつかって、日本は十分に不法占拠された竹島を返還に持ち込むよう説得する術はあったはずだ。
しかしながら、之を行わず、ファシズム国家韓国に融和策を始めた責任が日本政府及び政府自民党にある。
チェンバレンがナチスに宥和政策と採った後の、歴史を忘れている。
1960.藤山愛一郎外相は、安保条約の発動を否定。
藤山愛一郎外相が竹島問題に関する政府の統一解釈を要求する野党側に応じる形で、「竹島の問題は八年前(昭和二十七年)に起きたもので、以来日本政府は一 貫して平和解決のための交渉を行ってきた。日本自身が日米安保条約第五条の規定に基づく行動をとるという問題ではなく、米国が日米安保条約第五条による共 同行動をとらなければならないという状態にもなっていない。第五条にいう行動は武力攻撃に対する対抗措置であり、これに外交交渉を含めるという意味ではな い。もちろん竹島の問題について日米間で協議することは当然のことであり、十分協議する」と述べたが、これは岸首相の答弁から一歩後退する内容
http://www.sankei.co.jp/seiron/koukoku/2002/ronbun/11-r4.html より引用
しかし、その後の国会答弁で藤山外相は、「竹島を不法占拠しているのは、韓国内務省管轄の警察官であり、武力の伴った侵略である」との見解を明らかに し、「竹島は日米安保条約の日本領土内であること」「米韓条約にいう韓国行政権の及ぶところには竹島は入らないこと」等についての見解を示している。
1962.11.30.日韓会談について 大平大臣渡米資料(S37.11.30)1962年
(2)日本国政府としては、竹島問題が領土権に関する法律上の紛争であることにかんがみ、国際司法裁判所による解決が最も公正妥当な方法であると考え、かねて韓国側に対し、本紛争を国際司法裁判所に付託することを定義してきたが、韓国側はこれを拒否し続けており、その理由として、『国交回復から余り時をおかずに判決が出るのは、却って折角の友好関係にヒビを入らせることになる』と述べている。 http://kissho.xii.jp/1/src/1jyou109990.xps (黒塗りあり)
1963.01.26.池田勇人総理大臣 国会答弁
国会答弁におきましても、1963(昭和38)年1月26日に池田勇人総理大臣は、「 李ライン問題、あるいは竹島問題は、日韓
国交正常化の前提に横たわる懸案でございます。したがいまして、この両問題が請求権あるいは法的地位の問題と一括して、国民の納得のいく解決を見なければ、正常化を期し得ないのであります」とはっきり述べていたのです。
日韓会談と竹島問題 藤井 賢二氏@平成21年度「竹島問題を学ぶ会」 P17-18
1963.07.09.後宮虎郎アジア局長の「JOINT USAGE」非公式提議
後宮虎郎アジア局長が崔大使-崔世璜日韓予 備交渉漁業関係会合主席委員と思われますが-に、非公式ですけれども、「独島問題を (略)領有権問題としては棚上げしてJOINT USAGEにすることを非公式に提議し」た。 「崔大使はそのような方法は受諾できないと即座に回答した」
日韓会談と竹島問題 藤井 賢二氏@平成21年度「竹島問題を学ぶ会」 P17-18
1965.03.30.椎名悦三郎外相の答弁
1965年の3月30日の椎名悦三郎外相の答弁では、竹島問題については
「竹島問題を解決する的確なる方法をきめるということ以外にはないのでございまして、今日の場合においては、このめどをつけるということによって一括解決をはかりたいと、かように考えております」
と後退します
日韓会談と竹島問題 藤井 賢二氏@平成21年度「竹島問題を学ぶ会」 P18-19
1965.06.17.日本原案
6月17日付の日本原案では「両締約国間のすべての紛争は(略)
独島に対する主権に関する紛争を含み」とあります。日本側原案では、「紛争」は竹島問
題と明記していたのです。
日韓会談と竹島問題 藤井 賢二氏@平成21年度「竹島問題を学ぶ会」 P19
1965.06.22.韓国外務部から駐日大使に宛てた電文にある韓国提案
6月22日午前7時25分付で外務部から駐日大使に宛てた電文にある韓国提案では、
「ほかに規定がある場合を除いて、両国間の紛争はまず外交上の経路を通じて解決するものとし、これによって解決できない場合には、両国政
府が合意する調停手続または仲裁手続によってその解決を図るものとする」」
とあり、「紛争」は竹島問題を明示しないものでした。結局、交換公文の文言からは竹島問題の表記は消えます。
日韓会談と竹島問題 藤井 賢二氏@平成21年度「竹島問題を学ぶ会」 P19
結局、交換公文の文言からは竹島問題の表記は消えます。韓国側記録によりますと、6月22日の11時から午後1時15分にかけて行
われた椎名外務大臣と李東元外務部長官による第二次外相会談で合意が成立したとあります。
1965.06.22.「紛争解決に関する交換公文」
「両国間の紛争は、まず外交上の経路を通じて解決するものとし、これに より解決することができなかった場合は、両国政府が合意する手続に従い、調停によって 解決を図るものとする」」
日本政府はこの「紛争」は竹島問題を指すと国会で説明したのですが、
韓国は、この「紛争」とは竹島問題ではない、すなわち日韓間に
領土問題は存在しないと強弁して竹島の不法占拠をずっと続けているわけです。
日韓会談と竹島問題 藤井 賢二氏@平成21年度「竹島問題を学ぶ会」 P17-18
1965年8月18日付の韓国政府外務部が駐日大使に宛てた書簡
「独島は厳然として我が領土の不可分の一部であり、したがって領有権に関して云々する余地はなく、
韓日間の紛争の対象とはならない。今回両国間で合意された『紛争の解決に対する交換公
文』は独島問題とは全く無関係である」
と記されているのです。これは勝利宣言です。竹島を不法占拠している現状を維持し続けることに自信を示した文章といってよいでしょう。
さらに、韓国側の記録には、日韓条約調印の直前-4時15分ですから45分前です-に佐藤栄作首相が、「交換公文中の「両国間の紛争」という語句には竹島問題は含まれず、これは将来起こりうる紛争を意味するという韓国の主張に同意した」という記録があります。
1965年11月27日の参議院日韓条約等特別委員会で佐藤首相はこれを否定していまして、にわかには信じがたい話です。
日韓会談と竹島問題 藤井 賢二氏@平成21年度「竹島問題を学ぶ会」 P17-18
・責任逃れのための答弁を終始つづけるアジア局長と国務大臣福田赳夫
第084回国会 商工委員会 第17号
1978.05.30 (昭和五十三年五月三十日)(火曜日)の答弁
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/084/1260/08405301260017c.html
・不法占拠している竹島に港湾施設など不法建築物を建築し始め不法占拠を強化し始めた際、行動に出た海上保安庁を妨害した外務事務次官:小和田亘
・2006.10.11 きちんと首脳会談で竹島の問題を話すべきなのに、それもせず、何ら進展につながる行動を起こさない売国奴安部首相
参議院会議録 第165回 http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/165/0014/16510110014001a.html
西岡武夫君 それでは、少し分かりやすく申し上げますけれども、韓国を訪問されたときに竹島の問題についてお触れになりましたか。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) この問題につきましては、韓国側から、竹島の問題についてはこの場ではあえて議題にしないというお話がございました。
○西岡武夫君 それを総理は了承されたんですか。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) この首脳会談の場においては議題にしないという提案でございましたから、私はあえて議題にはいたしませんでした。
他方、海洋における放射能の調査の問題を含めEEZの画定の問題があるわけでございます。それにつきましては、お互いが交渉をするようにということについて、お互いが、この首脳が交渉するようにということを確認をしたということでございます。
○西岡武夫君 これはおかしな話でありまして、竹島の問題は、現に韓国があそこにきちっと施設を造って実効的に支配しようとしているんで す。これを総理は、初めて行かれたわけですから、ここで一言言っておかなければ、安倍政権の下で竹島問題はこれは解決しないということになりかねない。ど うお考えですか。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) これは両国がお互いに知恵を出し合うことが大切でありまして、今まで何回もこの日韓の会談が行われているわけでありますが、その中でそれぞれの首脳が対応してきたところでございます。
○西岡武夫君 知恵を出し合うというのはどういうことですか。竹島は我が国の領土でしょう。もう一度お答えください。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) 竹島につきましては我が国の領土であるという立場は、これはもういささかも変更していないわけでございます。今後とも粘り強く対応していくということになるわけでございます。
また一方、例えば漁業の問題につきましては、これは正にお互いが知恵を出しながら解決をしているところで、解決をまた模索しているところであると、このように承知をしております。
○西岡武夫君 ところが、実際問題として韓国は軍隊も置いているという話でありますけれども、そういう状況の下で、我が国は固有の領土である、総理はこれどうされるんですか、知恵を出し合う問題じゃないんじゃないですか。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) 領土の問題は、それは一朝一夕に解決するわけではないのであります。普通は、通常は、これは平和条約を結んだ段階、講和条約を結んだ段階で解決をするわけでありますが、この問題は六五年の日韓の条約が結ばれた以降も残っているわけでございます。
しかしながら、先ほど申し上げましたように、例えば漁業資源につきましては、これは暫定水域として、両国の漁民がお互いに入会の形で、旗国主義の中で漁獲量等を管理をしながら漁業を行っているということになっているのではないかというふうに承知をしております。
○西岡武夫君 実利的には、今総理がおっしゃったその漁業の問題が具体的にあるんです。我が国の漁業関係の皆さん方が、竹島の問題が、我が 領土でありながら、領土でありながら、きちんと領有権を確立しないままに入会の状態になっているということが我が国の西日本における漁業不振の最大の原因 になっている、これ、お認めになりますか。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) 漁業につきましては、これはもう日本海全体をこう俯瞰しながら日韓で漁業の協定を結んでいるわけでございま す。要は、その中でお互いにルールを守っていくことが私は大切だろうと、このように思いますし、また、そのことを韓国側にも求めているところだろうと承知 をしております。
○西岡武夫君 竹島は我が国の固有の領土であると。それならば、今総理がおっしゃった問題は、お話はおかしいんじゃないんですか。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) しかし、今の段階で、先ほど竹島の状況というのは委員が御指摘されたような状況になっているわけでございま す。しかし、その中で我々は、私の地元も西側でございますが、この中で漁業者が漁業できるような状況をつくるために、お互いに知恵を出しながら、暫定水域 という形でこの地域を暫定水域にする、別の地域もありますが、そういう中でお互いに知恵を出し合った結果ではないでしょうか。
○西岡武夫君 総理は、御自分の任期中にこの竹島の問題を解決するという御決意はございませんか。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) 解決をするというのはどういう意味であるかということでございますが、解決というのは、これはそう簡単に話 の付くものではないわけでありまして、その中でお互いが知恵を出し合っていくことが大切であって、日本海を紛争の海としない、平和と協力の海にするべく努 力をしていくことが大切ではないでしょうか。
○西岡武夫君 それでは、総理の日本国にとっての領土ということについての基本的なお考えをお聞きしなければいけません。どうお考えなんですか。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) つまり、領土、これは国民と領土と我が国の今までの歴史と文化があるわけでございます。その中で国というも のが形作られていくわけでございますが、当然この領土ということにつきましては、我々はそこには主権的な権利が存在するわけでございまして、しかし、この 竹島の問題につきましては、例えば北方領土の水域に係るようなそうした不利益が生じないように、お互いに知恵を出しながら漁業者が漁業ができることが可能 な状況をつくっているのではないでしょうか。
○西岡武夫君 北方領土の問題は竹島の問題とはかなり事情が違って、歴代の政権が大変な御苦労をされてきているのを私も与党に在籍をしてお りましたから十分承知をいたしております。しかし、竹島の問題については、これは我が国の領土であると、しかしお互いにいろいろ協調し合ってやっていこう と。どういう意味なんですか。よく分からないんです。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) いやしかし、今委員がおっしゃっている解決というか、いう意味なんですが、今実際にこの竹島を支配をしてい るのは韓国でありまして、その周りには巡視艇がいるわけであります。その中で我々は、しかしその水域においては漁業が可能なような処置をとっているところ でございまして、韓国側の了解も得ているということでございます。話合いをしなければそれはできないわけであって、さらにそこに、ではどういう対応をして いくかということなのかと私は思っております。
○西岡武夫君 ですから、総理が御就任になって初めて韓国を訪問されたと。そこで、領土は最大の問題ですから、竹島の問題を話題にしないで、向こうは、言われたから、こっちは話題にしなかったと。おかしいじゃないですか。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) それは今まではですね、今まではむしろこちらから出さなくても、韓国側からむしろ、この竹島の問題について 我々が主張するというか、我々が固有の領土であるということを言うこと自体がおかしいではないかということを向こう側はずっと主張してきたのであります。 しかし、今回はあえてそのことは議題にしないということになったと私は理解をしております。
○西岡武夫君 じゃ、いつ議題にするんですか。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) この領土の問題も含めまして日韓関係全体を俯瞰しながら、我々両国の未来について何をするべきかを考えるべきではないかと私は考えております。
○西岡武夫君 実は先月、私の郷土であります長崎県の対馬市の市議会で、対馬の日の条例というものを韓国が、韓国の領土とするということ で、馬山市という韓国の市ですけれども、そこの市議会がそれを決議した。これに対抗いたしまして、これは国がやることだから地方自治体がいろいろ言わない 方がいいだろうということで、一年数か月どうも現地では、対馬の皆さん方は我慢をしておられたんですけれども、これに対して、どうもいたたまれず、対馬の 日というものに対して抗議するということを議会が満場一致で決定をしたわけであります。
領土の問題は、対馬には何人住んでおられる、市民がおられると、総理御存じですか。御存じないと思います。四万人以上の人が住んでいるんです。そこを、 韓国の一地方自治体とはいえ、これは我が国固有の島であると、そう言っているんですよ。こうして一つ一つ韓国は既成事実を積み重ねていって、これは失礼な 話ではありませんか。このことを御存じでしたか。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) 対馬の日というのを韓国の地方自治体が決めたということは私は寡聞にして存じ上げないわけでありますが、し かし対馬については我が国がしっかりとこれは実効支配をしているわけで、当然でありますが、我が国の固有の領土であるわけでありまして、何のそのことに問 題も起こっていないわけでございます。
○西岡武夫君 総理が言われたように、対馬は現に四万人以上の市民が存在をし、それに対してさえ、韓国の地方自治体とはいえ、これは自分の国だと言っているんですから。どうお考えですか。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) 当然、対馬は日本の固有の領土であり、実際に四万人の方々が営みをしていて、日本のこれは領土であるという ことは、もうこれは言うまでもない話であろうと、このように思います。そして、それはもちろんそういうことを、日本の領土ではないということを言うこと は、これは極めて遺憾なことであると、このように思うわけでありますが、それは国として言っているということではなくて、むしろそれは地方自治体で決めた ことであろうという範囲の中で理解をいたしております。
○西岡武夫君 これはおかしな話だと思うんですね。韓国の地方自治体が議会で決議したんですよ。これを放置するんですか。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) 韓国においてもやはり、日本でも地方自治であろうと思うわけでありますが、今申し上げましたように、それは遺憾なことであるというふうに申し上げたわけでございます。
○西岡武夫君 遺憾を通り越しているんですけれども、総理、なぜ韓国政府にそのことに厳重に抗議をしないんですか。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) 私も今それは初めてお伺いをしたというふうに申し上げました。よくそれは事実関係を調べてみたいと思います。
○西岡武夫君 これまたおかしな話でして、私の知る限りでは、内閣総理大臣と官房長官とは本当に自分の家族以上に一緒にいる時間が多いと思うんですね。官房長官がこれについてはコメントしているんです。それを総理は御存じないんですか。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) 今私が申し上げたとおりであります。
○西岡武夫君 それでは、総理はこのことについて、これ一地方自治体が言ったからという問題じゃないですよ、大変な問題ですよ。韓国に対して厳重な抗議をするとここでお約束をいただきたい。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) まず、事実関係を調べてみたいと思っております。
○西岡武夫君 官房長官がコメントしているんですから、お答えください。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) ですから、私は事実関係をまず調べてみたいと、このように申し上げているわけであります。
○西岡武夫君 官房長官がこのことについてコメントをしていることについて、総理は事実関係をよく調べないと分からないと。おかしいじゃないですか。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) 私は、先ほど申し上げましたように、この問題については存じ上げなかったわけでございますから、よく調べてみたいと、こう申し上げているのでございます。
○西岡武夫君 それでは、官房長官、そこでこそこそ話は結構ですから、御答弁ください。
○国務大臣(塩崎恭久君) 急な御指摘なものですから、そのときどういうふうに正確に申し上げたか、ちょっと定かではありませんが、たしか、韓国の一地方自治体がお決めになったことではないでしょうかというふうに申し上げたような気がいたします。
○西岡武夫君 地元の新聞の記事の報道によりますと、あなたはこうおっしゃっているんです。それぞれ立場があって、それぞれ立場があって、地方議会が決めたこと、地方自治なので、政府としてコメントしない、こうおっしゃっているんですよ。どういう意味ですか。
○国務大臣(塩崎恭久君) それは、たしか島根県の竹島の日の条例についてリファーしたこととして私は申し上げたと思います。
○西岡武夫君 この今読み上げた新聞記事は皆、官房長官、お認めになりますか。
○国務大臣(塩崎恭久君) 何分にも今事前通告を受けてない質問でございますので、正確にもう一回確認をしたいと思いますが、思いますが、 地方議会が決めたことということで、私は新聞報道を見て、対馬の今先生御指摘の問題については読んだ記憶がございまして、どこの会見の場かはちょっと失念 をいたしましたが、そのような質問が出たときに、まあ地方議会の決めたこと、つまり地方自治でおやりになっていることですからコメントをしないということ を申し上げたと思います。
○西岡武夫君 総理、この問題について御存じなかったようですから、まあここでこんな押し問答していてもしようがありませんから、速やかに 事実関係をお調べになって、そして韓国政府に対して、これは地方自治体、一地方自治体が言ったからこれは政府は知らないという問題じゃないんですよ。こん なもうとんでもないことを韓国の一つの市がやったわけですから、これについて韓国政府に厳重な、十分調査の上厳重な抗議をすると、このことをお約束くださ い。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) よく調査をまずしてみたいと思います。
○西岡武夫君 どうも総理は、対馬でさえこういうことを韓国の人々が言い出したと。どんどんどんどん竹島の場合には事実関係を積み重ねられ て現状に至っていると。したがって、総理がやるべきことは、直ちに韓国が竹島については現在ある施設、軍隊の撤去を求めると、これが本筋じゃありません か。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) 竹島については、今までも施設を増強する、あるいは人が、いろいろな人たちが上陸をしていくというときについては、その時々に適切に外務省において対処をしていると思います。
○西岡武夫君 私は、総理が発言する外交ということをおっしゃったので、こうしたことについてきちっと毅然たる態度で臨まれるであろうと期 待をして御質問を申し上げました。私の質問の趣旨を十分御理解いただきまして、この領土の問題について毅然たる態度で対応をしていただきたいということ を、もうこれ以上お話ししてもどうもらちが明かないものですから、次に進みたいと思います。
・侵略国家・ファシズム国家・歴史歪曲国家である韓国に配慮し、主権者である日本人に配慮しない悪辣渡海文科相(自民党:福田内閣)
2008.07.11 竹島記述は首相判断、外交的配慮も示唆 渡海文科相(産経7/11)
http://sankei.jp.msn.com/life/education/080711/edc0807111231000-n1.htm
新学習指導要領の中学社会科の解説書に島根県の竹島を「我が国固有の領土」と明記するかをめぐり、渡海紀三朗文部科学相は11日の閣議後会見で、「首相の総合的判断に最後はなるだろう」と述べ、福田首相が最終的に判断するとの認識を示した。首相の判断には外交的配慮も含まれるとの見通しを示した。
渡海文科相は「領土は国家の基本なので、教育現場でしっかりと指導しなければならない。従来の考えは変わらない」と述べ、文科省として竹島を明記したい考えを改めて強調した。
一方、政府内での調整作業については、「(首相が)サミットから帰ったのが一昨日の夜中で、まだだ。(地方向けの)説明会が開かれる14日までに、最終的な判断をしなければいけない」と述べるにとどめた。
・侵略国家・ファシズム国家・歴史歪曲国家である韓国に配慮し、主権者である日本人に配慮しない悪辣な文科省 (自民党:福田内閣)
http://sankei.jp.msn.com/life/education/080714/edc0807141605001-n1.htm
2008.07.14.「我が国固有の領土」は見送り 「竹島」は明記 学習指導要領解説書
新学習指導要領の中学社会科の解説書に島根県の竹島を「我が国固有の領土」
と明記するかをめぐり、政府は14日、
「我が国と韓国の間に竹島をめぐって主張に相違があることなどにも触れ」
とする記述を盛り込み、竹島を初めて明記する一方、
領有権を直接的に示す表現は見送った。
文部科学省が同日午後、教育委員会向けの説明会で示した。
解説書で、竹島については日韓双方の主張を取り上げるよう求めた。
また「北方領土と同様に、我が国の領土・領域について理解を深めさせることも必要」
として、竹島の領土問題は学校現場で指導すべき対象とした。
2008.7.14 23:32 不満足な結果に文科省いらだち 竹島記述
http://sankei.jp.msn.com/life/education/080714/edc0807142333006-n1.htm
このニュースのトピックス:「竹島」問題
「あとは教科書検定できちんとやってくれ」。14日午後の記者会見で、学習指導要領の解説書について「良い案ができた」と“公式見解”を発表した文部科学省幹部は、会見後にこうぼやいた。自己採点はギリギリ及第の「65点」という。
文科省は、従来の教科書検定で「日韓双方が領有権を主張する」との第三者的な記述に検定意見をつけてきた。だが、今回の解説書では「我が国と韓国の間に主張に相違があることにも触れ」と記述。韓国側の主張を認める格好になり、検定方針からも明らかに後退している。
小泉政権下の中山成彬文部科学相(当時)は平成17年3月、参院で「竹島も学習指導要領に明記すべきだ」と答弁。だが、指導要領案が公表された今年2月は、韓国の李明博大統領が就任した時期で、結局、外交的配慮から見送られた。
文科省では、解説書に明記することで「実質的な領土教育充実」をはかる考えだった。だが、解説書でさえ外交的配慮から領有権の明記を見送る結果に終わり、「竹島は韓国に不法占拠されている」という政府の公式見解が教育の場に示されることはなかった。 文科省幹部は「北方領土と違い、竹島は交渉のテーブルにさえのっていない。この違いは大きかった」と無念をのぞかせた
・アメリカに記述の是正を抗議せずに引っ込んでしまった売国奴自民党の福田康夫と町村信孝
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080731/plc0807311157002-n1.htm
2008年07月31日 【竹島問題】町村長官「抗議は必要なし」 米の竹島「韓国領」表記再変更 2008.7.31 11:57
このニュースのトピックス:「竹島」問題
米政府機関が竹島(韓国名・独島)の帰属先を再び「韓国」に戻したことについて、町村信孝官房長官は31日午前の記者会見で日本政府としては特別のアクションを起こす考えはなく、米国の新たな判断に期待する考えを示した。
町村長官は「米政府の1機関がやることに、あまり過度に反応することはない」と言明。同時に「(米政府の)結論ではない」とした上で「(竹島問題の帰属先について)米政府は中立的な立場を強調している。今回は米国の立場の変更を意味するものとは受け止めていない」と述べた。
また「(米側は)改めて全体を精査すると(言っている)。精査する過程でとりあえず『中間的』な表記に戻したということなので(今後)どのような表現になるか、またいずれ出てくるのだろう」との見通しを語った。
一方、帰属先を韓国に戻したことがブッシュ大統領側の指示だったことを踏まえ、福田康夫首相が抗議を行う意思があるかどうかについては「ない。なぜ必要なのか」と反論した。
・文科省の罪 「竹島」を高校新学習指導要領に記述しなかった。 (自民党:麻生内閣)
2009年03月10日 「竹島」高校新学習指導要領に記述されず/県や議員連盟反発
http://local55.jp/local55/news/9544 提供元: 島根日日新聞社
2009年03月10日
文部科学省は九日、二〇一三年度(一部は一二年度)の新入生から適用する高校の新学習指導要領を告示した。島根県が要望してきた「竹島」(韓国名・独島)に関する記述はなく、島根県の関係者からは不満の声が上がっている。
竹島をめぐっては、県は学習指導要領と解説への記述を求めてきたが、昨年十二月二十二日に公表された地理歴史、公民の学習指導要領の改定案に記 述はなかった。そのため、県は文部科学省が募集するパブリックコメントに固有の領土と明記すべきとする意見を提出。合わせて竹島領土権確立島根県議会議員 連盟とともに国への要望活動を行った。
同議会議員連盟の細田重雄会長は、中学校学習指導要領に続いて記述されなかったことに、「極めて遺憾。この問題は我が国の主権と尊厳・国益に 係わるもので、国の将来を担う全国の小、中、高校生に竹島問題を理解させることは国民世論の喚起の上からも極めて重要」と指摘。「同指導要領解説書の改訂 の際には政府の公式見解に基づき、『竹島は我が国固有の領土』と明記されるよう粘り強く要望していく」と述べた。
溝口善兵衛知事は「竹島に関する記述が取り上げられなかったことは残念。学校教育で竹島問題が積極的に取り扱われるよう、今後とも国に対して粘り強く要望する」とコメントした。
・どうやら、隠岐島にて、竹島の地崎権を持っている方に、10年に一度の権利更新を”しないでくれ"と頼みに来る国や県の公的機関が有るらしい。また、同氏は、公安にマークされて監視下に有るとの事。
日本領土竹島の地崎権を持っているにもかかわらず、韓国の侵略と不法占拠により漁ができず、権利が侵害されている日本人がいるにもかかわらず、それを回復する努力すらしない日本政府の官僚及び政治家がいるということを、きちんと認識してほしいと思う。敵は、日本国内にもいるのです。
【参考:Road to 6.25】http://nandakorea.exblog.jp/3933836/
48/01/25 朝鮮海峡に位置している対馬島を朝鮮領土に復帰させることを対日講和会議に提案しようという提案が過渡立法議院に提出された。
http://www.history.go.kr/url.jsp?ID=NIKH.DB-dh_006_1948_01_23_0180
48/02/19 口ウイに対馬朝鮮領土復旧案を対日強化会議に建議提案
http://www.history.go.kr/url.jsp?ID=NIKH.DB-dh_006_1948_02_17_0070
49/01/08
韓国の李承晩大統領、対馬返還要求を声明。アメリカと日本はこれを拒否。
http://db.history.go.kr/url.jsp?ID=tc_ct_1949_01_08_0010
49/02/23
鄭翰景駐日韓国代表団長,韓国が解決する問題は対馬島や対日賠償要求でなく38度線撤廃と言及
http://www.history.go.kr/url.jsp?ID=NIKH.DB-dh_010_1949_02_22_0110
49/04/08
国連安保理、韓国の国連加入案を否決。
49/05
米軍から李承晩政権への武器供与を停止。
49/06/27
米国、韓国撤退完了を発表。
49/07
米議会、韓国に対するECA援助計画を否決。アチソン国務長官は「朝鮮は三ヶ月以内に破綻する」と警告。
50/01
米韓軍事援助相互協定調印。アメリカは韓国側からの軍事支援要求を拒否。
アチソンは「経済援助がなければ,韓国は2,3ヶ月で崩壊する」と発言。
50/03 アメリカ議会が1億ドルの対韓援助を承認。韓国政府に均衡財政の確立など経済安定15原則の履行を求める。
50/06/25
韓国海軍PC701艦,対馬島近海で北傀艦撃破..
http://db.history.go.kr/url.jsp?ID=tc_ct_1950_06_26_0110
50/06/25 朝鮮戦争勃発。北朝鮮軍が38度線を越えて韓国へ侵入。
51/04/27 韓国が対馬を韓国領土に加えるよう要求
http://blog.goo.ne.jp/pandiani/e/cd0d8749a934fc781bc60f0393eb5978
韓国はサンフランシスコ条約草案の「領土」部分に対して言及しながら、「韓国は正義が永久的平和の唯一の基盤という堅固な信頼で対馬島の領土的地位に対する完全な検討をすることを要請する」とし、「歴史的にこの島は韓国領土だったが日本によって 強制的、不法的に占領された」と言った。
この文書はまた「(下書きの)第5段落(paragraph)で、日本はサハリンの南側半分とすべての付属島嶼そして千島列島をソ連に渡すように命令を受ける」となっている点を指摘しながら「このような事実を考慮して韓国は日本が対馬島に対するすべての権利、呼称、請求を確かにあきらめて、それを韓国に返すことを要請する(In view of this fact the Republic of Korea request that Japan specifically renounce all right, title and claim to the Island of Tsushima and return it to the Republic of Korea)」と要求。
当時のヤン・ユンチャ駐米大使はそれから約3ヶ月後の7月9日、国務省でジョン・フォスター・ダレス大使に会って、対馬島は当然韓国に属するという点を強調しながら、サンフランシスコ 条約に対馬島が韓国に帰属されるはずなのかを重ねて確認した。
しかしダレス大使は「対馬島は日本が長い間完全に統制していたし、平和条約は対馬島の現在の地位に影響を及ぼさない」と返事をし、韓国の要求を拒否した。
51/07/19.北東アジア課朝鮮担当官(エモンズ)による会談覚書http://toron.chu.jp/jp/take/sengo/tsushima.html
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/frus1951.gif
韓国大使は、本日午後二時、事前の面会約束によってダレス氏を訪問した。ヤン博士は、会談の開始に際し、韓国政府が対日平和条約に組み入れることを考慮してほしいと希望するいくつかの点を掲げる国務長官あての公文(添付資料)をダレス氏に提出した。(中略) ダレス氏は韓国大使の伝達文第一項が対馬島に言及していないことを指摘し、韓国大使はこれが落とされたことに同意した。次いでダレス氏はドク島、パラン島 二島の位置について尋ねた。ハン氏は、これらは日本海にある小島であり、大体鬱陵島の近くだと思うと述べた。ダレス氏はこれらの島が日本の朝鮮併合前に朝 鮮のものであったかどうかを尋ね、大使は肯定した。ダレス氏は、もしそうであれば条約中の日本による韓国領土の領土権放棄に関する適当な箇所にこれらの島 を入れることについて、特に問題はないとした。(中略)
56/02/04
対馬島附近海上で日船2隻が韓国船を襲撃,15人拉致.
http://db.history.go.kr/url.jsp?ID=tc_ct_1956_02_14_0020
65/07/30.
朴大統領,対馬島の密輸基地(機知)化および日本官憲の黙認ほう助を抗議するように指示.