日本の古地図における鬱陵島「竹嶋」と現竹島「松島」の扱いはばらばらである。また地図によっては、竹島と松島に加えて、鬱陵島と于山島も更に記載されているものもある。
0.1696.1724年などの鬱陵嶋地圖
1.長赤水圖の系統
竹嶋、松島二島をきちんと記載しているものと、
長赤水圖系統の地圖においては、鬱陵島と現竹島が日本色に塗られているもの、無色で両国どちらの色でもないもの、日本本土には彩色があるが、日本本土ではない離島として彩色がないものなど、彩色に関してはばらばらである。
本来、赤水圖の竹島松島は磯竹島鬱陵島と現竹島を意図して記載したのであった(江戸時代の日本の竹島(蔚陵島)と松島(現竹島)の地圖) 。
が、林子平ーシーボルト等の一連の流れから1850年以降はおそらくは日本は現竹島を見失っているので、竹島をArgonaut竹島鬱陵島、松島をDageletという新たな島と意図して書いている可能性が高い。この松島はDageletで、実際は鬱陵島なのだが、1880年以前においては、明確にはこの松島が鬱陵島とは認識していない。開発のし甲斐のある大きな島として書かれている感がある。また、この松島は、現竹島Liacnourt Rocksとしては書いていない。
2.林子平の朝鮮八道之圖の系統
鬱陵嶋=于山国=弓高という、一島三名説を取っている林子平圖を基本としているものがある。弓高とは、聖人峰の韓国読との説があるが、定かでない。
鬱陵島=日本称竹嶋なので、基本的に鬱陵島は朝鮮の持ち物としているが、松島は記載されていない。
三国通覧図説に関しては、鬱陵島と、于山島らしき島名無しの島が書かれているが、これは隠岐の松島ではなく、位置的に竹島(鬱陵島)詳細図のいが島、もしくは朝鮮の輿地図から于山島である竹嶼をを書いているように思える。
3.西洋の地圖の系統
ⅰ.朝鮮半島にはTchainchaintaoまたはランカントウFangLingtaoハンリントウが記載され、
ⅱこれが、1850年頃くらいから上記ランカン・ハンリンに加えて日本海中には竹島アルゴノート島松島ダゼラ島が記載されるようになる。
彩色に関してはばらばらである。
ⅲまた、英国海軍水路部の海図を参考にした系統の日本圖は、上記に加えて現竹島であるリアンコールド岩が記載される。
ただし、現竹島を朝鮮領土と記した明確な公的地圖は無い。
4.1880年の軍艦天城の鬱陵島調査以降 アルゴノート竹嶋と于山島は基本的に日本の官製の地圖からは消える。
また、地図の表記の変化としては、それまでの”松島”(Daglet)から、鬱陵島松島(Dagelet)へと表記が変化する
5.1905年2月22日の島根県編入以降はきちんと現竹島は掲載される。
同時にこちらも参照されたし
・長赤水圖と西洋の地図の融合 明治期の日本の地圖MaplistNew
・日本の地圖における「于山島」Maplist
・1880年の戦艦天城の鬱陵島調査の前と後の公的な地図の変化
リスト最終更新:2010/10/15