円形の鬱陵島圖形

・1694年以降の朝鮮王朝の鬱陵島捜討官の製作した鬱陵島詳細図
・円型の鬱陵島圖形
・角型の鬱陵島地圖
・金正浩の地圖
・楕円形鬱陵島地圖
・朝鮮の地圖における鬱陵島と于山島(全地図リスト)

1694年の、張漢相の鬱陵島調査以降、捜討官は鬱陵島の記録を残し、調査に基づいた鬱陵島詳細図を残してきた。デザインを考慮すると、これらは、特に、1711年の朴錫昌の鬱陵島図形は後につづく円型の形をした一連の鬱陵島地図が基になったと思われ、更に地理情報は、1694年の張漢相の鬱陵島事蹟が使われていると思われる。


ただ、輿地圖など江原道圖と、鬱陵島圖には、表記法に違いがあり、
鬱陵島圖においては「鬱陵島の北東に南北に細長い島竹嶼」を書いている一方で、
同じ輿地図帖などでは、江原道圖は、于山島が鬱陵島の西に、島の一部分であるかのような描写を行っている。
この理由は謎であるが、検討する事でなにか于山島認識の変遷が判るかもしれない。

1711鬱陵島圖形 


18世紀初期 地図名不明



1736-1776 輿地図-鬱陵島 国立中央図書館.古61-3

18C中頃八道輿地圖 鬱陵島 古2702-14 江原道圖 于山鬱陵両島

1736.-1767 輿地圖 欝陵島(1736-67)4709-68         関東圖:于山鬱陵両島

1737-1776.●19C初頭 廣輿圖
                     関東圖 于山島を鬱陵島の西一部分として表記

1776.-1787 地乘(1776-1787)奎 15423                江原道圖:鬱陵于山(鬱陵の東に記載)

19世紀:朝鮮與圖 鬱陵島(塚本氏)






18世紀中旬:海東総圖 関東圖:于山島を鬱陵島の西の一部分として描写

18世紀中旬:大東総圖 朝鮮半島全体圖で有るが、鬱陵島が比較的細かく書かれている。
于山島は鬱陵島の西に書かれている。 上に上げた鬱陵島詳細図を南北逆にした配置だが、
于山島を除くと、左上に孔巌、右上に恐らく竹巌や三仙巌、東に冑岩や竹嶼を当てているような配置に見え、しっくりと来るが、
地名は表記されていないので何ともいえない。


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